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ウォール・ストリートのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

ウォール・ストリート(2010年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

ある日、ジェイコブ・ムーアが勤める会社の株が大量にカラ売りされる。それにより会社は倒産、また直近の上司も自殺してしまう。カラ売りをしかけた会社に復讐を誓った彼は、昔ウォール街で名を馳せたゴードン・ゲッコーに近づきアドバイスを求めるが…。

1987年に公開されたオリバー・ストーン監督作「ウォール街」から、23年が経過してのまさかの続編。
主演は同じくマイケル・ダグラスで、監督もオリバー・ストーンが務めている。
一作目はギラギラとしたバブル景気時代の作品で、金欲の権化たちの栄枯盛衰であった。
題名からしてリメイクか?
または本作も同じ金融戦争か?と劇場公開時はスルーしていた。

しかし、内容は全くの別物。
さもありなん、あれからアメリカは911テロにリーマンショック、サププライムローンと何度も不景気の波を被った。
使いきれぬほどの金を私利私欲のために溜め込むのは、この不景気の時代ではモラルに反する行為となった。

良く「金はあの世までは持って行けない」と言うが、前作では描かれなかった資産の正しい運用とは何か?を模索したため、やや中途半端な印象となった佳作である。

インサイダー取引で収監されていたゴードン・ゲッコーだったが、出所後に自伝を書き、表舞台への復帰を図っていた。
かつて巨万の富を誇った男が1人で刑務所を出所し、誰も迎えに来ない姿は哀れだ。
しかし、それも自業自得。
裸一貫、ドン底から再び返り咲くのか?と期待させる冒頭である。

一方、ゴードンの娘ウィニーは私欲のために家庭を壊した父を嫌い、クリーンエネルギーに投資するジェイコブ・ムーアと交際していた。
ここで「金の正しい使い道」が示唆される。
「未来への投資」と「社会への還元」である。
このクリーンエネルギーを巡り、株式市場での奪い合いが予想された。

ところが彼の会社が経営難に陥り、社長のルイスが投身自殺をして会社は倒産。
ジェイコブは資産の多くを失ってしまう。
アッサリと「金の正しい使い道」が宙に浮いてしまうのである。

生前のルイスは、会社を陥れたのはライバル会社社長のブレトン・ジェームズだとジェイコブは考えていた。
旧知の友人であるルイスを亡くしたゴードン・ゲッコーもそう考えており、ブレトンを没落させ、復讐しようと利害が一致。
ジェイコブはゴードンのアドバイスでブレトンの会社の社員になって探りを入れることになる。

未来に投資する若者ジェイコブvs私利私欲の権化ゴードンが娘を巡って対決か?と思いきや、物語は意外な方向に。
共通の敵ブレトンに対して共同戦線を張る。
しかし、ジェイコブのやっていることは、もはや犯罪。
盛んにデマを流して他社の株価を下げようと画策する。
若者がゴードンの指示で動くのは前作と同じで、新鮮味に欠けるが、「蛇の道は蛇」とばかりにジェイコブに指南するゴードンは、さながら「羊たちの沈黙」のレクター博士のようで何か企んでいるとしか思えない。

だが、そこにサブプライムローン問題が起こり、ウォール街に激震が走る。
クリーンエネルギーへの投資に危機に瀕したジェイコブがゴードンに相談すると、娘のウィニー名義の1億ドルの隠し財産があると判明。

ジェイコブはその金を当てにしていたものの、ゴードンは金を持ったまま行方をくらませる。
このせいでジェイコブとウィニーの関係も悪化し、2人は別れることに。
「やりやがったな、ゴードン・ゲッコー!やっぱり拝金主義者で欲の塊。自分の娘とその恋人をも裏切るなんて最低な奴だ!」と思わずにはいられない。

結局「世の中、金がモノをいう」のだと冷酷な教訓を残して終わるのか?と思いきや、オリバー・ストーン作品では珍しく心温まるラストで終わる。

ジェイコブは、ブレトンの不正を暴くレポートを書き、マスコミに流して彼を破滅に追い込む。
一方でゴードンは1億ドルを元手に市場に復帰し、11億ドルに資産を増やしていた。
ゴードンは1億ドルをクリーンエネルギーに投資することで、ジェイコブとウィニーの仲を取り持ち、酷い父親だったと自分の誤ちを認め、赦しを乞う。

ギラギラとした金への欲望を描いた前作を知る者としては、本作はドラマチックさに欠け、やはり物足りない。
金を巡る男たちの泥臭い争いもなく、株の取り引きによる鮮やかな逆転劇もなく、肩透かしを喰らう。

かなりの割合を割いて描かれるのは、老いたゴードン・ゲッコーが丸くなった姿である。
過去の栄光に縋り、虚栄心を満たそうともがいているが、娘にも愛想をつかされた彼の姿は、外見だけは煌びやかだが、中身がただの丸くなった老人でしかない。
代わりに登場したブレトンも悪役としては、明確なポリシーが語られないため、前作のゴードンと比べて劣る。
結果的に本作は拝金主義を批判する社会派ドラマではなく、ファミリードラマになってしまった。

思わせぶりと方向転換の果てに、この映画は何を魅せたかったのか?
個人的に思うのは2つ。
まずは「人間は変われる」ということだ。
本作のゴードンは、娘の信頼を取り戻したいと願い、金を貯め込むのではなく、良いことに投資する。
「悪人こそが、救済すべき対象だ」という仏教の考え「悪人正機」である。
オリバー・ストーン監督はゴードンを夢のある若者ジェイコブと無垢な娘と比較して、「善悪の判断すらできない」愚か者として描き、彼の目を覚まさせたのだ。

もう一つは「金の正しい使い道」である。
未来へ希望をバトンタッチするのが、今を生きる者の役目。
それを悪党であったゴードンが身を持って教えてくれる。

前作と比べれば、かなりマイルド。
しかし、格差のある者が歩み寄り、共に未来を見据えて終わるという優しい視点は嫌いではない。
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