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ゆれるのseaのネタバレレビュー・内容・結末

ゆれる(2006年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

人の感情は揺れ動くとても脆いものだということ。

昔気質な父親と自由奔放な弟に振り回される兄。稔が言っていたことそのまま、小さい町のガソリンスタンドで毎日決まった人と働き、面倒な客に頭を下げる、家に帰れば洗濯炊事、父親の顔色を伺い過ごす日々。自分のやりたいことを見つけ街を出ていった弟と比べれば、なぜ自分ばかり、と鬱憤が溜まるのも無理はない気がする。そういった、気付いていたけれど自分の現状を惨めだと思いたくないだとか自分の人生を否定するような、今まで見過ごしていた思いが、あの事件で耐えきれなくなりプツンと切れてしまったような印象を受けた。

猛は兄の人生を否定はしないけれど、自分だったら絶対になりたくないとどこか少し下に見ている。そのことがすべて兄にはお見通しであり、そういう弟を見てきた兄は、最後の自分にとっての微かな光であった智恵子さえも奪った猛から、稔にとっては閉鎖的な町も刑務所も大差ないからこそ「罪悪感など感じず生きる人生」を猛から奪った、気がしていたけど、他の方の考察を読んでとても納得してしまったので、あとから違う気もしてきた。

猛は稔の言葉にカッとなり嘘の証言をしたけれど、抱きたければ女性を抱き適当なことを言って話を合わせ、自分が苛立てば嘘の証言をすることこそが、稔が弟に対して思っていた猛そのもの(始めから人のことを疑って最後まで一度も信じようとしない)。わざとカッとさせいっときの感情で行動する弟を取り戻すことで、自分も兄という存在に戻れた、兄はそんな弟ですら受け入れて愛している。というような考察がとてもしっくりきた。

弟の証言を聞いたとき、最後のシーンで弟に気付いたシーンの稔の絶妙な表情。妬ましいと思っているかもしれないけれど、憎みきれていないというか、やはり弟として大切に思っているのかもしれないということが伝わってくるようだった。稔はもう猛に会わない気がなんとなくした。吊り橋を向こうまで渡った猛。渡ろうとしたけれど渡れなかった智恵子と稔。それぞれの人生を表しているように思えたけれど、稔も最後には渡れた気がした。
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