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ツレがうつになりまして。のLCのネタバレレビュー・内容・結末

ツレがうつになりまして。(2011年製作の映画)
2.8

このレビューはネタバレを含みます

面白い作品ではあった。

心の風邪とか、精神の病とかって言葉がどんな印象を人に与えるのか測りかねるが、鬱に限らず精神疾患に分類されているもの(今なら発達障害も有名になってきている)は「脳内における伝達物質の量や伝達機能の不具合」が原因だと、色々な人が指摘しているようだ。不具合というのも語弊があるけれども。生まれ持った機能に不具合がある、という文脈になりかねない、怖い。とりあえず、鬱だけに話題を絞ろう。

人柄は、その人がどんな感情を表してくれるかで判断されることが多い。よく笑う人なら、陽気、とか。
その感情は、様々なものに左右される。脳内物質の量は何が起因となって増減するのか。その伝達に支障が出てきたとしたら、修復は可能なのか。作中では飲食物で働きかけようとする描写がある。天気にも言及があった。付け加えるなら、太陽だけではなく、気圧や気温の急激な上下も我々の内部に影響を与えている。
人の性格は腸内環境によると言う人もいる。人の性格、気分、人柄にあたるものは、簡単に変容する不確かなものだ。
いつも同じように微笑んでいる人は、そのように機能するよう、メンテナンスをしている。或いは、擬態している。

でもそんなん置いておくとしても、常に隣にうじうじしてすぐ疲れて横になったり暗い顔したりちょっとのことで落ち込んだりする奴、いたらどうなん、ということが、割と本作では見えづらいと思う。
妻さんは本当に愛情深いし、賢い人だ。人は人、自分は自分、その線引きがしっかりした上で、相手に自分の期待を背負わせることもない。がんばらないぞ、は象徴的な台詞だ。
普段電車や車に乗って会社に行き、仕事が終わって帰ってきたら、電気のついていない部屋で結婚相手や子どもが寝ている。家事をした形跡はない。そんな光景が来る日も来る日も帰るとある。ストレス溜まらん人、どれくらいおるのか。飯だと起こしても食欲ない、味あんまわかんない、とか言われる。楽しいテレビ見てても一緒に笑わず、「自分なんか」とか言い出す。
本作のご夫婦は、お互いに協力的だし、理解し合おうとするし、あたたかい関係を見せてくれるが、やはりファンタジー味はある。こんな優しい関係の中ですら、ツレさんは自殺未遂をした。

自殺未遂は、これも繰り返すと周りも自分も感覚が麻痺する厄介もの。
「また洗剤飲んで運ばれたらしいよ、どうせ胃洗浄して帰ってくる」
「自分では衝動を止められなくなっている。胃洗浄は2度と経験したくないと思うのに、気付いたらODしてるし、どこか冷静だから、救急車や友人へ連絡入れてから気絶してる」
こんな感じになる。この状態で何年も何十年も生きる人もいる。私の友人だが。何年か前に旅立った。発見が遅れた。
自殺未遂の厄介な点は、後遺症もあげられる。例えば飛び降りても死ぬことはできなかったが、一生歩けなくはなった、とか。
こういう人たちは、道ですれ違う時に穏やかな表情をしていたりする。話せば軽快に笑い朗らかに相槌を打ったり、する。人々の生活の中に彼らも普通に存在している。

あたたかくやわらかな関係を相手と築き維持するには、とてつもない労力が要る。
鬱に理解を、も確かにそうなのだけれど、鬱の人と接する人も楽じゃない。哀れみや愛情だけで支えられるものじゃない。
自分が鬱になっても、相手が鬱になっても、そこにあるのは闘いだ。共闘できたら理想だが、そうはいかないことが多い。
闘いには余裕が必要だが、日常生活で余裕のある人がまず少ない。お金は最もわかりやすい。まず闘えるだけのお金がなかったりする。相手に思いやりを持って接している場合じゃない状況に追いやられる。休む方としても、その状況下で「心から安心してリラックス」ができるのか。横になってれば休めている、と考えるのも乱暴なことだ。

今まで色々な人に色々な対応をされてきた。
だから、私が夜外にふらふらと出ると、慌てて追いかけてきて、心配だと泣き出すような人が存在することも、幸いにして知ることができた。普段よりお風呂が長いとか、トイレから出てこないとかいう時、必ず様子を見に来る。
この人が特別気が利くというわけではない。寧ろテキトーでガサツで無頓着だ。つまり、この人もやはり慣れない闘いの中にいる。
私は、やっと共闘してくれる人と出会えたんだなと感じる。死にたい気持ちも悲しい気持ちも、今の私を支配することは難しい。抗う力がようやく付いてきた。ひたすらに耐えて下手に動かない力が。

色々重くなりすぎない表現にしてる作品だと感じるけれど、妻さんもツレさんも、これからもステキな関係でいてくれたら嬉しい、というのも素直な気持ち。
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