シズヲ

マッチ工場の少女のシズヲのレビュー・感想・評価

マッチ工場の少女(1990年製作の映画)
4.0
“彼らは遠くの奥の森で餓え凍えて死んだのだ”
“そのように思えます”

両親を養いながらマッチ工場で働く冴えない女性の悲喜劇的顛末。『パラダイスの夕暮れ』『真夜中の虹』に続いてアキ・カウリスマキ監督による“プロレタリアート三部作”の三作目とされる。

無機質に映し出されるマッチ工場、黙々と作業に明け暮れる主人公。バスで一時の休息を過ごし、家に帰れば両親の世話をさせられる。たまの気晴らしにおめかししてクラブに赴いても、男からは相手にされない……。台詞や解説を挟むことなく、主人公の日常の仄暗い閉塞感が淡々とした描写の中に凝縮される。簡潔さを極めたストーリーラインも含めて、ひたすらに無駄がない。それだけに時折流れる楽曲には主人公の心情を代弁するような趣がある。

カウリスマキ監督の演出は、社会の下層に生きる人間の姿を黙々と映し出していく。カティ・オウティネンの何処が儚げで冴えない雰囲気、ささなかな演技から滲み出る機敏の数々が、本作の抱える鬱屈とした空気感を如実に表す。主人公の“日常風景”が醸し出す哀愁よ。天安門事件などの著名なニュースが度々映し出されるけど、それを見つめる登場人物達との“距離感”に何とも言えぬ虚しさがある。主人公はひたすらに労働で日々を擦り減らし、両親は当たり前のように娘に世話をされる。そんな日常のルーティンが端的に示されていく。

主人公が抱いた一抹の未来が容易く踏みにじられ、やがて静かなる復讐に走っていく筋書きは悲劇的であるものの、同時に何処となく飄々としている。犯行の“結果”をわざわざ映し出さないことの奥ゆかしさ。主人公が順当に“失敗”していく姿は遣る瀬無くて救いようがないのに、彼女を見つめる視点には奇妙な穏やかさがある。露骨に寄り添いはしないが突き放しもしない。何というか、こんな彼女の姿でさえも“物語”になることを伝えてくれるような、不思議な美学を感じてしまう。そういう意味で本作は悲劇的であるのに、端的な演出も相まって中々どうして憎めないものがある。
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