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永すぎた春のodyssのレビュー・感想・評価

永すぎた春(1957年製作の映画)
4.0
【今も見るに値する佳作】

三島由紀夫原作による昭和32年作の映画ですが、今見てもたいへんに面白い。

東大生(川口浩)と、東大近くの古本屋の看板娘(若尾文子)が恋に落ちて婚約するのですが、結婚は彼が卒業してから、ということになっています。今と違って、婚約者同士は正式に結婚するまではセックスはしないという時代です。永い婚約期間には、彼にも彼女にも思わぬ方向から誘惑の手が伸びてきます。

この作品はそうした誘惑に屈しそうになったり、そこから逃れたりする二人の姿をユーモアをこめて描いており、また若い二人の実家の様子――それぞれの階級意識など――も、絶妙に捉えられています。特に東大生の母(沢村貞子)のブルジョワ意識丸出しの行動――彼女の夫は会社重役――はコミカルで、実に愉快。階級意識を描くときは、このように距離を置いて笑いをちりばめながら描かないといけないので、この映画はそのお手本のような作品です。

といって、コミカルなだけの軽い作品かというと、それだけに終わらないところがまた巧みなのです。娘の兄は盲腸で入院しますが、そこで美人看護婦(八潮悠子)に惚れてしまい、ここにもう一組の婚約カップルが成立します。ところが、看護婦自身はしっかりした娘なのですが、母一人娘一人という身の上で、この母が下層階級のねじくれた意識に凝り固まった女であり、彼女のたくらみから事件が起こり・・・・。

この映画に多少後味の悪いところがあるとすれば、この看護婦の母のたくらみの結末が完全なハッピーエンドに終わらないところでしょう。多少希望をもたせる終わり方ではあるのですが、看護婦自身はちゃんとした性格の娘であるだけに、もう少し救いをはっきり出したほうが良かったと思います。

しかし、階級意識というものが意外なところで意外な事件を招来すること、階級の異なる男女の結びつきが現実にはなかなか難しいものであることを示しているところは、一見コミカルなこの作品がしっかりしたリアリズムの裏付けを持っていることを示しており、だからこそこの映画は佳品と評するに値するのです。
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