鍋山和弥

ゴジラVSデストロイアの鍋山和弥のネタバレレビュー・内容・結末

ゴジラVSデストロイア(1995年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

全ての始まり、1954年版『ゴジラ』。核兵器の、脅威の象徴であるゴジラ。新たな脅威となる可能性のあった、『オキシジェン・デストロイア』。『オキシジェン・デストロイア』は、設計図と共に、博士の命と引き換えに、この世から、葬られた・・・・はずだった・・・・。それが、『ゴジラVSデストロイア』の世界で、とある博士の、『ミクロ・オキシジェン』と、かつて、『オキシジェン・デストロイア』の、使用された。海底の砂地の砂を、持ち帰るという行為によって、脅威によって、甦る。その砂地の砂の中に、無酸素時代の生物が、『ミクロ・オキシジェン』により巨大化し、動く『オキシジェン・デストロイア』と化す。そのデストロイアは、Gフォースの狙いで、ゴジラと、戦うことになる。『核』が、動力のゴジラ。『ミクロ・オキシジェン』が、動力のデストロイア。人類の脅威の、発明同士が、戦う。同じ歴史の繰り返し。人類は、愚かだが、やはり、ゴジラ親子は、かわいそうであったが、今回の戦いにおいては、流石に、人類の命運が、かかっては・・・・。今回は、人類は、生き残ったが、ゴジラジュニアが、核を吸い、ゴジラとなった。ゴジラとデストロイアは、動力にしてるエネルギーが、違うだけで、似た者同士だったと、思います。ゴジラもデストロイアも、悪役ではない。野生の動物なのだ・・・・。
鍋山和弥

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