荒野の狼

沈黙 SILENCEの荒野の狼のレビュー・感想・評価

沈黙 SILENCE(1971年製作の映画)
4.0
遠藤周作の1966年の小説「沈黙」の映画化で1971年に公開。脚本は遠藤と監督の篠田正浩による。主役のイエズス会司祭ロドリゴを演じるデイビッド・ランプソンは日本語の発音が聞き取りにくく演技が平板であり、同僚のポルトガル人司祭とも英語で会話。この二人以外の配役は名優がそろっており好演しているだけに、他に映画出演の記録もない日本語のセリフが聞き取りにくく、演技力に乏しい俳優を選んだのは残念(ポルトガル語の使用のない本作なので、英語圏の俳優ならば、ほかの優れた俳優を選べたはずである)。
実際の主役と言えて、出演場面が多いのは、マコ岩松の演じるキチジローであり、この役所は、新約聖書のユダに近い。拷問に耐えられない弱いキチジローが、司祭らを何度も裏切ることで、結果として、精神的には、信仰を貫いた強い殉教者たちと同様に苦しんだという、本作の一つのテーマがマコ岩松の演技により表現されている。
本作でしばしばジャケットなどには主役のようにクレジットされている岩下志麻の出演場面は短い。岩下はキリシタンの武士の妻で、棄教をうながされる役どころ。目の前で夫が地中に顔のみを出して埋められ、このそばを馬が疾走するシーンにおいての、岩下が絶叫するシーンは本作の中でも印象的で、岩下の恐怖が伝わる映画ならではの迫力。
ロドリゴの人物描写が浅薄なので、小説に比べて宗教的な深みに欠ける出来となったが、短いながらも丹波哲郎演じるフェレイラ司祭は宗教的にも人間的にも異彩を放つ。フェレイラが本作で語る二つのポイントは宗教とは、キリスト教とは何かの本質に迫るものである。一つ目は、フェレイラの、「隠れキリシタンが信じる神と彼らカトリックが信じる神は異なる」という指摘。この発言は、一見、カトリックが正当なキリスト教であるかの印象を受けるが、カトリックもプロテスタントに比較すると、聖人の設定やミサの形式など原典の聖書から離れた部分は大きい。一方、日本の隠れキリシタンが独自の信仰スタイルを持ち、その一部は、カトリックとの正式な関係を拒み、聖書も用いないことが知られるが、信仰心の深さという点では、どのキリスト教宗派にも劣らないということを考慮すると、宗教の、キリスト教の、本質とは何かに迫る大きなポイントがここにある。
二つ目のフェレイラの発現は、「他者を助けるためには、キリスト自らも踏み絵を踏んだはずである」というもおの。これは、宗教の形式を重んじるスタンスと、実生活に神(キリスト)を生かしたスタンスを対照させるものであり、キリスト教にとどまらず、宗教一般においても共通する問題である。
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