Jeffrey

坊やの人形のJeffreyのレビュー・感想・評価

坊やの人形(1983年製作の映画)
3.8
「坊やの人形」

YouTubeにて詳しくレビューしていますのでもしよかったら覗いて見てください。

https://youtu.be/z5tHkovmD74

冒頭、炎暑の中をサンドウィッチマンの姿で歩く男。ピエロの化粧、親方、三輪車、映画の宣伝、息子アリョン、悪ガキ、洗濯の仕事、汽車と線路。今、坊やが父の素顔を見て泣く理由が分かる…本作は侯孝賢を始めとする若手監督三人のオムニバス映画で、一九八三年に製作されたものである。この度台湾映画特集をするためにBDで再鑑賞したが面白い。個人的には第二話の「シャオチの帽子」が詩的で好きである。この三人中で侯孝賢だけが商業映画の監督を経験していた。同時期位に制作されたといっても先行的に上映されていた「光陰的故事」も台湾ニューウェーブも先駆け的なオムニバス作である事は周知の通りだ。


さて、物語は貧しい若夫婦と赤ん坊の話である。父親は日本の雑誌の切れ端でサンドイッチマンと言う仕事があるのを知り、映画館の親方に頼み込んで、サンドイッチマンになる。彼らはそれでやっと子供を産むことができた。やがて父親はもう少しましな仕事を見つけて町中で笑いものにされていた衣装を脱ぎ捨て、化粧落とす。ところが赤ん坊は、見慣れない父親の素顔を見て、泣き叫ぶのだった…。

本作は冒頭に、炎天下の中街をピエロの格好した男性が振り子を鳴らしながらカメラへと向かって歩いてくる。次のカットではカメラはその男性の顔をクローズアップする。戸籍名簿を提出しながら何やら小麦粉をもらっている人々がいる。次のカットで、七人の子供が木に乗りイエスキリストと歌を歌っている。カットは変わり、洗濯物を取り入れている一人の女性と赤ちゃん籠の中にいる子供が映る。そこへ帰宅したサンドイッチマンの男性(ピエロの姿)。どうやら二人は夫婦である。彼はコップにヤカンからお茶を汲み飲む。カメラは薬袋を捉えて男性がそれを発見し病気なのかと彼女に聞く。

どうやら避妊薬のようで自分に黙ってこんなものを飲んでいたことに不満をあらわにしたした。そこで赤子がぐずったのでピエロの鼻をとって赤子の機嫌をなおす彼。彼の名はコンチ。続いて、汽車が線路を走る場面に変わり、サンドイッチマンの姿をした彼が走ってやってくる。列車から降りる人々、路地裏を懸命に走るサンドイッチマン。駅のホームのベンチに座り休憩をする。カメラは彼の辛そうな表情を捉える。ここで彼の回想が映る。日本の雑誌の切り端を見つけ、これだったら自分の会社を宣伝することができると親方に聞いてサンドウィッチマンをやっているそうだ。

そして仕事を見つけた彼は家に帰宅して妻である彼女にこれで子供が作れるぞと喜びながら伝える。彼女は隠れて泣き出す。カットが変わり、線路を歩く子供たちの姿、パチンコを手に持ち、虫取り網を手に持ち歩く。続いて現実へと戻る。コンチはお腹を下したのか、駅のトイレへと駆け込む。それを見ている子供たちが広告の人だと言う。彼はピエロの姿から裸になる。そして便所に駆け込む。子供たちはそのピエロの鼻と洋服と帽子をかっさらって遊び始める。彼は追いかけて取り返そうとする。

続いて、親方のところに戻り、ボロボロになったピエロの衣装を新しくしたいと頼むが彼は衣装の事はお前の責任だと言う。彼はイライラしながら自宅へと帰宅して嫁にあたる。カットが変わり、映画館の座席を掃除しているコンチを映す(一瞬、父と息子の会話が映り、父親がその格好に対してみっともないと激怒する場面が挟まれる)。翌朝、奥さんは料理を作り、旦那は顔にピエロの化粧をし始める。彼は嫁が用意した食事に手をつけず、黙って家を出る。嫁はお米を鍋に戻し、赤子を背負い川で洗濯物をする。

そして彼の回想が始まり、出生届けを出すのが遅かったために罰金を課せられる。妻と赤子は街を歩く。線路のカット、学生たちのカットなどが重なり始める。奥さんは黙って静かに夫の後を追いかける。夫婦はともに食事をする。翌日、親方が子の宣伝方法を止めると三輪車に乗って違う宣伝方法を模索することを彼に伝える。彼は翌日からそれを乗り、街で映画を大宣言する。彼は喜び、夫婦に喜びの時間が芽生えてくる。父親もあれならまだマシだと機嫌が良くなる。だが、ーつの問題が発生する。それは長年サンドウィッチマンの姿を見ていた息子アリョンがメイクなしの父親を見て誰だか分からなくなり泣いてしまうのであった…と簡単に説明するとこんな感じで、日本で彼の作品の初上映がこの作品である。

基本的に貧しい夫婦の物語なのだが、一応奥さんも川で洗濯モノをする仕事らしきものをしている。なので共働きなのだが、それでも現実は厳しく、貧しい夫婦の日常を描いている。でもさ、この映画面白いところって、なんで日本の広告を見てやろうと思ったと言うか、台湾国内での仕事のヒントではなく、わざわざ日本を持ってきたのかと言う理由は考えても仕方ないが、侯孝賢は基本的に日本を取り入れることが好きな監督だなと感じる。それも良い意味で。更に侯孝賢は劇中に映画館を取り入れることが非常に好きな監督でもある。前作の川の流れ…やフンクイの…にも出てきた。ローカル線も相変わらず彼の作品には象徴的に現れる。こんな短編映画でも汽車と線路が映り込む。彼の作品を見ると昔ながらの面影を持つプラットホームや駅舎を好きになってしまう人もいるのかもしれない。自分がそうである。


「シャオチの帽子」

そして第二部は、日本製の圧力鍋を売る話である。若いセールスマンは他に仕事のない青年たちが圧力鍋の安全性に疑問を抱きつつも、海辺の街にセールスに出かけていく。圧力鍋は全く売れない。2時間かかる料理を10分でやって抜けたからって何になると老人は言う。ある日、料理の実演をしていた青年が、圧力鍋の爆発で大怪我をし、彼が台北に置いてきた身重の妻は、流産を知らせる手紙をよこしてもう1人のセールスマンの青年は心惹かれていた少女の帽子に隠された酷い傷を見てしまう…。

本作の冒頭は田舎町をー台の車が走る。その中には男性二人の姿と運転手の姿がある。大きな眼鏡をかけたサラリーマン風の男性は手紙を取り出し何かを思う。ここで回想が始まる。メイリーと言う女性が現れる。彼に荷物を持たせ、外には同僚のワンが待機をしている。彼女はどうやら妊娠しているようだ。カットは戻り車内の中を捉える。隣に座っていた同僚のワンが妻を置いて変な鍋を売るなんて嫌だと言うが、彼は仕事があるから子供を埋産めるんだと言う。カメラは田園風景をロングショットでとらえる。すると"鈴木しあわせコンビ"と言う段ボールに入った圧力鍋の数々が写し出される。この圧力鍋は日本製で彼はセールスマンなのである。

続いて、夜。倉庫に圧力鍋の段ボールを運ぶ彼。一人の少女がその倉庫に入ってしまったボールを見つめる。彼はそのボールを渡す代わりに少しの間倉庫を見張って欲しいと言うが少女は黙ってその場を立ち去る。カットが変わり、翌日。町中に圧力鍋の宣伝張り紙を貼る。スクーターに乗り街を回る二人のセールスマン。カメラは音楽と共に様々な角度で様々な場所で彼らの仕事ぶりを捉える。そして多くの見物客の前で圧力鍋を披露するが、そこでトラブルが発生する。そこでワンの回想が始まる。

続いて、圧力鍋を現実的に売るのが難しいと考えるワン、諦めるのが早いと言う上司の会話中に、昨夜見張りを頼んだ少女が道を歩いてきたのを発見したワンが貝殻に仏像を描いたものを彼女に手渡そうとする。そして二人は原付に乗りまた街を回り圧力鍋を売ろうとするが、なかなか売れない。途中で立ち寄った老人が圧力鍋とは何だと質問をする。すると鳥のフンがワンの頭に落ちる。老人はそれは不吉だから家に帰って豚足と蕎麦を食べた方が良いと言う。二人は食事を取りに行く。ここでもあの少女を発見して声をかけるが無視されてしまう。二人は一緒にいるよりかは一人ずつ回った方のが効率が良いかもしれないと言い、自転車に片方は乗り、もう片方は原付で街を回り始める。

続いて、ワンがベッドで寝ていると一人の少女がこちらを覗いていたのに気づき、外へ出てくる。そうするとこないだ会った少女が現れる。二人は貝殻を見せて欲しいと言う。そこで初めて会話をする彼と少女たち。だが彼がいつも帽子をかぶっているその少女に帽子は好きかいと言うと彼女は静かに去っていく。ある日、ワンが自転車で圧力鍋を運びながら回っていると、対岸に少女と男性を見かける。カメラはロングショットでそれを捉える。少女は泣いているようだ。ワンはその場所にやっている。少女の名前はシャオチ。最近貝殻を見に来ないねと言う。少女と一緒にいた男性は返事はと彼女に言い、彼女ははいと答える。そして去っていく。その後ろ姿を眺めるワン。

続いて、ワンはこの土地に来て良かったことを同僚に伝える。彼はシャオチが気になるようで胸騒ぎがすると伝える。翌日、同僚は原付で圧力鍋を売りに行く。ワンは部屋で豚足の足の毛をピンセットで取っている。カメラは静かな路地裏をとらえる。圧力鍋で豚足を煮ると言う宣伝効果があったようで、街の人たちが現れる。カットはワンへ。そこへシャオチが現れ、彼は手が疲れたから手伝ってくれないかと言う。少女は手伝い始める。ワンは新しい貝だよと見せて少女にあげる。カットは圧力鍋を披露する同僚の場面へと変わる。

ワンの場面へ。彼はふとシャオチの帽子をとる…すると彼はとんでもないものを見る。少女はその場から逃げる。続いて、圧力鍋の大爆発に巻き込まれた同僚が大怪我をする。こうして物語は佳境へと入る…と簡単に説明するとこんな感じで、この監督は実際にアメリカに留学して映画の基礎を学んで帰国したと言う事だから、確実にイタリアのネオレアリズモに影響受けている事は、この作品から見てとれる。まず日本アンチとまでは言わないが、日本製品の圧力鍋がマジで使えないような描かれ方をしている。実際そういうものなのか、私は圧力鍋を使って料理をしたことがないためわからないが、この作品の中では最低最悪の道具として映る。

それにセールスマンが老人に話を聞くと、時間をかけてじっくりと作る料理がおいしいのに、短縮して作ってしまえば美味しくないと言うところは便利な世の中になることに対してのアンチテーゼに見える。また高度経済成長を反対するような立場の老人である。それと台詞にも注目したいのが、候孝賢監督が作った「坊やの人形」ではオール台湾語だったが、この作品は北京語になっている。ちなみに最後の「りんごの味」では北京語と台湾語の半々で語られる。だからあの母親が警察官が通訳しても言ってる意味がわからず、台湾語をわかる娘に翻訳してもらっているだなと感じた。

「りんごの味」

冒頭、台北の夜明け。アメリカ将校に轢かれた一家の主、大怪我、米軍病院への入院、大使館、貧しい家庭と子だくさん、学校から帰宅、差し入れの林檎、無邪気な遊び、男子トイレ、号泣する母、冷静な娘、口のきけない妹。今、災い転じて福となる…本作はワン・レンの作品で第三部となる"りんごの味"と言う短編である。これは駐留米軍の軍人の車にひかれた工場勤めの男とその家族の物語である。事故を聞いて泣きながら駆けつけた妻と子供たちは、米軍の病院の城のような豪華さに目を見張る。明日からの生活の不安に怯える妻に渡されたのは、アジアで最も友好的な人々に反感を持たれないようにと配慮された、膨大な補償金だ。見舞いの高価なりんごに、家族揃ってかぶりついたが、その味はなんとも奇妙なのだ。

本作の冒頭は、一九六九年五月十日の台北の夜明けの街並みが映るファースト・ショットで始まる。それは静かに始まる。アメリカ軍の車にひかれてしまった一人の台湾人男性がいる。アメリカ大使館に一本の連絡が入る。それは事故を起こしてしまったことを報告する者からで、アジアで最も友好的な国だからトラブルは起きないとリチャードニクソンの写真が部屋に飾られているショットが映る。電話を切るとフェイドアウトして事故現場の道路に血が付いたショットに変わる。

続いて、事故に遭ってしまった家族に会いに来る米軍関係者と通訳の台湾人。汚い迷路のような路地裏を通りアパートへと向かう。その途中で赤子を背負っている少女に道を尋ねるが、少女はうまく話せない。土砂降りの中、ようやくたどり着く。そして父親が車にひかれた事を伝えて病院にいるのでお連れしますと言う。母親は狼狽する。カメラはそれを土砂降りの中静かに角度をつけて捉える。そこへ道案内を聞いたうまくしゃべれない少女がやってくる。どうやら妹と弟である。すると学校で先生に質問されている男の子が映る。その子もその家族の兄弟である。お姉ちゃんが彼を迎えに行く。彼の名前はアチー。先生が事情汲み取り彼を授業から返す。

続いて、ひいてしまった米兵が掃除をしている声を出せない少女を見て微笑む。一家全員が揃う。アチーは学校辞めることをお姉ちゃんに言う。姉は何でと聞くと学級費が払えないからいつも立たされるから嫌だと言う。もう一人の弟がりんご飴を眺めている。米軍が用意した車に家族は乗る。奥さんは車の中でも泣き続ける。病院へと向かう車をカメラは捉える。アチーはアメリカの車を見て興奮している同級生を窓から覗き自慢げな表情で見下す。そして母の回想が映る。やがて軍の病院へとたどり着く。

旦那は今手術中なので待ち合わせ室でお待ちになってくださいと言われ家族はソファーに座る。だがー番下の弟二人は探検をし始める。トイレの便器全部にしょんべんをかけたり、トイレットペーパーを無駄にしたりと…。母と姉はトイレを探していたので、弟に案内してもらう。彼女たちは間違えて男性のトイレへと入ってしまう。そこに男性の米軍が入ってくる。そうすると叫び声が聞こえる。男兄弟は何でここは全部が真っ白なのと聞く。そうするとお兄ちゃんはアメリカだからだよと答える。。

カットが変わり、包帯ぐるぐる巻きの父親の姿を見てこんな格好になっちまってと嘆く母親の場面へと変わる。そしてナースの女性が看病をしている。そこで奥さんは激しく泣き始めるが、ナースの人が病室から出て行ってしまったことをお姉さんが知らせると彼女は泣き止む。そして差し入れが運ばれる。そして夫が目を覚ます。そして彼を轢いてしまった大佐が謝りに来る。やがて父親の同僚なのか、友達なのか仲間三人がお見舞いにやってくる。そして家族全員は差し入れのりんごをかじるのであった…と簡単に説明するとこんな感じで、この災いが家族に幸福を与えると言う結末なのだが、果たしてこれが本当の幸福と言えるのかと言う疑問を投げかけた映画であると感じる。

この作品を見るとあまりにも台湾と言う国は貧しいんだなぁと思わされてしまうが、この作品がとられた八〇年代は決して貧しい国ではなかったと思う。でもこの物語は六〇年代になっているため、当時は貧しかったのかもしれない。だけど台湾人の心境からすると米軍に助けてもらって良い生活をすると言うのはプライドが許さなかったんじゃないかと感じる。あの母親が嘘泣きをしてシスターに動揺を仕掛ける場面などを見ると、こうまでして治療費や生活保護的なものをもらおうとする必死さが伝わる。

あえてどの作品が好きかと言う順位をつける事はやめるが、それぞれ台湾の貧しさや冷たい社会の風景が映っていてどちらにせよ素晴らしかった。少し疑問なのが、この作品が日本で初公開されたと言う事はまだ当時日本には多くの台湾人がいたと思われる。そういった日本人と台湾人が混ざって劇場で見たこの作品は果たして当時どのような熱気に包まれたのか非常に興味がある。余談だが、候孝賢監督の作品はほぼほぼ見ているが、この作品の残りの監督二人の作品はほとんど見れていない。国内でメディア化されてないのが最大の理由だが、どのメーカーでもいいからソフト化して欲しい。
Jeffrey

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