とうじ

シャンドライの恋のとうじのレビュー・感想・評価

シャンドライの恋(1998年製作の映画)
3.5
PTAでもスコセッシでもフェリーニでも、天才が作る欠陥のある映画には、それ特有の危うい魅力がある。
ベルトルッチが天才なのはいうまでもない。そして、本作は確実に欠陥のある映画である。というか、普通に失敗作である。

本作は、「一目惚れした男が女にアプローチをする」というシンプルで使い古されたラブストーリーの定型から、どのような独自のテーマを引き出すか、という点においては興味深い試みをしている。
まず、本作は「愛」と「トラウマ」の同化についての物語であると言っていい。「愛」と「トラウマ」は、人の心に死ぬまで影響を及ぼし続ける、つまり人生を狂わせるという点では一緒なわけだが、その二つがそれ以上に同化したものとなって、心が引き裂かれるような体験をしてしまった可哀想な女性が、本作の主人公であり、そこに着目した映画は他に思い当たらない。
そのほかに、ベタではあるが、「音楽の可能性」についての物語でもある。言葉で伝えることのできないことを音楽で伝えようとする、というのは、善悪の彼岸である芸術をどうにか自分でコントロールしようとする試みであり、そこからは絶大かつ繊細なドラマが生まれる。
大きくこの2つが本作の物語の主軸としてあるわけだが、そのテーマに深く入り込む余地を、本作は終盤30分くらいで放棄してしまい、結局は使い古されたラブストーリー的な結末に落ち着いてしまう。愛を目前とすると、そのような観念的な模索など消え失せ、「誰が誰と結ばれ、離れるのか」ということ以外はどうでも良くなるのである、と言っているようにも捉えられるが、それにしては本作の大部分が、普通のラブストーリー的構造を信頼してなさすぎる。
本作のことを「ただただ女優のおっぱいがいつ見えるのかどうかをドラマの主軸とする空っぽで軽薄な映画」と酷評したのはロジャー・エバートだが、「それは彼の方にも問題があるんじゃないのか」ということは置いといて、事実、物語における試みの興味深さと、全体としてみた時に感じられる思慮深さが釣り合っていない印象は否めない。
しかし、見る価値が全く無いかといわれると、やはり天才が撮った失敗作ならではの、危うい見応えは健在である。ジャンプカットが鬱陶しいのはあるが、それにしてもハッとさせられるような美しいシーンはあり、そういう意味で、良くも悪くも後期のテレンス・マリックを彷彿とさせる。オープニングなんかは結構良い。
あと、白人目線から見たアフリカ文化へのファシネーションというものが、音楽ならまだしも(ポール・サイモンとかまさにその良い例)、映画という媒体といささか噛み合わせが悪いというのも、本作が変な舌触りをもったものになってしまった理由の一つだと思う。
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