AK

東京物語のAKのネタバレレビュー・内容・結末

東京物語(1953年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

名作と言われる意味が自分なりに分かった気がする

カットが主に定点で「ロー・ポジション」と言われるらしい

フィックスというのは知っていたが、またそれとは違うのかな

物や人や場所をむやみやたらにアップで撮影せず、空間そのもの、人そのものを撮影していてその空間を覗いている感覚
またアップせずとも、その人間の見える心情、見えない心情がわかりやすく撮られていて、凄いと思った

その撮影手法が主で、画面上で人が無闇やたらに動き回るということはほとんどない
次から次へ話している人やその場から離れて違う部屋に行く時、どこかへ出かける時とカットが変わる

登場人物の掛け合いは、至ってペースが早いわけでも何でもないが、カットが切り替わった瞬間に全く違う場所へ飛んでいる場面が数箇所あり、以前のカットでの出来事が伏線のようになっている

映像では映し出されてない所を容易に想像できるが、違う場面へ飛んだことにより、少しどうなっているのか?と混乱もするけれど観ていたらストーリーを理解できる

話のテンポやストーリー、人間の動きは速くないが、そういったカットの切り替わりである程度の想像ができる空白の時間を作っていることでストーリーにテンポ感も生まれ観ていて飽きない


物語としても、親と子の関係性、紀子との関係性、それぞれの登場人物の人間の性格的なところも繊細に描かれている

例えば、うちわを扇いでるシーン
紀子は義理の父母に対してあおいでいるカットから実の子供たちは、自分を扇いで涼んでいる
このカットだけでも人間味が凄く出ている

そして東京観光に来てくれた時は一切時間を取らず、家から追い出し、紀子に色んなことを頼み、一緒に食事もしない、出かけない。
葬式になると時間を取ってみんなで食卓を囲む
生きている間に両親はそういった事をしたかったのだと、話したかったのだと汲み取れる

愛がないわけではない
でもその表現の仕方や、接し方で残酷さが垣間見える

紀子もラストシーンでは自分はずるいんだと言う

その部分が他の登場人物と同じ、人間は自分中心な生き物だと表現されているように感じた
みんな利己的であると

子供達が悪いわけでも、紀子が良い人なわけでもなく、人間は利己的でそういうものなんだと感じた
 
自分はあのような兄妹にはなりたくないと思った
どうしても利己的になる瞬間はもちろんあるけれど、できるだけそうならないようにしようと
時間を大切にしようと

本当に素敵な映画だった
AK

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