喜連川風連

東京物語の喜連川風連のレビュー・感想・評価

東京物語(1953年製作の映画)
4.3
なんと雄弁なる画面か。

行間が豊かに表現され、セリフ以外の感情を能弁に語る。

最初のシーンは空気枕を探すシーンから始まる。そこに通りかかった近所の人が「立派な 息子さんや娘さんがいなさって結構ですなあ。ほんとうにお幸せでさあ」と語る。このテーマのミソになるセリフでこの段階では「立派な家族を持つ老夫婦という方向」にミスリードを誘っている。

加えて空気枕は文字通り、中身が空気(空虚)だ。その後の家族関係を暗示している。

その後、20年ぶりに東京へ出ていく老夫婦が徐々に邪険に扱われていく。

最たるところでは、老夫婦が来ることで孫の勉強机が廊下に出され、孫がそれに文句を言い、長男は東京見物の約束を当日になって、すっぽかす。

老夫婦も老夫婦で、息子が思ったより東京の中心部で活躍していないことに落胆している。

長女の志げのところを尋ねると長男よりもさらに現実主義者で、老夫婦に高い土産を持っていくのはもったいないという。

さらに東京見物も未亡人である紀子さんに押し付けてしまう。東京の家族の中で唯一老夫婦を歓迎する紀子さん。

恐らくこれは紀子さんが今の生活ではなく「過去」に生きているからだろう。

紀子さんはまだ8年前に戦死した夫の肖像を部屋に飾っている。

老夫婦も過去の幻影を息子たちに重ね、「過去」に生きている。ここに奇妙な合致が生まれる。

老夫婦の扱いに困った長男と長女は、2人を熱海へ送り出す。

しかし熱海は団体旅行のメッカ。若者が多く集うような宿だった。老夫婦が夜の騒音にジッと耐える姿が印象的だ。息子たちに本音を言えない姿とも重なる。

しかし、その後老友と飲むシーンでは、周吉がポツリと本音を語る。
「しかしなぁ沼田さん わしもこんど出て来るまでぁ、もういっとせがれがどう にかなっとると思うとりました ところがあんた 場末の小さい町医者でさ、あんたの言うことはようくわかる、あんたの言うようにわしも不満じゃ。じゃがのう沼田さん、こりゃ世の中の親っちうもんの欲じゃ。欲張ったら切がない。こら諦めにゃあならんとそうわしァおもうたんじゃ」

セリフで無闇に直接感情を語るような無粋な真似は決してしないが、ここぞでグッと力を入れる脚本が本当に上手い。

紀子さんの下へ行ったとみも、安心したのかポツリと本音をもらす。

「昌二のう、死んでからもう8年にもなるのに、あんたがまだああして写真なんか飾っとるのをみると、わたしぁなんやら、あんたが気の毒で……」

だが、まだ過去に生きている紀子さんはこう答える。「いいんです、あたし年とらないことに決めてますから」

そして老夫婦が尾道に帰り、危篤になるトミ。

喪服を持っていく姉と長兄。喪服を持ってこなかった紀子さん。ここでも距離感の差が如実に現れる。

長女は、母が死んだ直後、ウワッと泣いて、その直後にケロッとしながら、無神経に形見の着物を欲しいという。さらに業務的に葬式を進めながら、葬式当日にはもう帰ると言う。

親類はそそくさと帰り、尾道には、紀子さんが数日残った。そして紀子さんにも帰る日が来る。

周吉は紀子さんに、トミと同じことを語りかける。
「ええとこがあったら、いつでもお嫁にいっておくれ。もう昌二のこた忘れてもろうてええんじゃ。いつまでもあんたにそのままでおられると、かえってこっちが心苦しうなる。困るんじゃ」

「いいえ、わたくしそんなおっしゃるほどのいい人間じゃありません。お父さまにまでそんな風に思っていただいてたら、わたくしのほうこそかえって心苦しくって……」

「いやぁ。そんなこたない」

「でもこのごろ思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです。
わたくし、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。この ままこうして一人でいたら、いったいどうなるんだろうなんて、夜中にふと考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとっても寂しいんです。どこか心の隅で何かを待ってるんです。ずるいんです」

良き貞淑な妻であろうとする自分と心の奥底の自分の欲求が相反し、苦しむ紀子さん。

これを受け、周吉は紀子さんの「時を進める」ことを願うかのように形見として時計を渡す。その時計をグッと握りしめ、動き出す汽車に乗って紀子さんは旅立つ。

もう紀子さんは自分の人生を歩んでいくのだろう。

ラストシーン。最序盤と同じ構図で周吉を映すが、隣にはもう、トミはいない。ゆっくりと団扇を仰ぎながら、孤独な時間が過ぎていく。

近くの親戚より、遠くの他人というのがテーマに見せかけて「どの時間を生きるか」というのがテーマなように思う。

尾道と東京、若者と老夫婦、息子と親など、数多くの時間的な対比描写が繰り返され、過ごす時間の違う者たちが少しずつズレを感じ生きている。

同じ時間を生きていた未亡人と老夫婦は、互いに仲良くなるものの、未亡人にいつまでも過去に生きてもらうのは忍びないと、最後、老夫婦は未亡人の肩をそっと押す。

「1人になると、時間が急に長うなりますけん」1番最後の笠智衆のセリフからもこの映画が「時間」をテーマにしているのがわかる。

本当にこんな映画が日本で作られていたのが奇跡のようだ。

撮影、脚本ともに日本映画の一つの到達点であり、ここで一つの完成を見たのかもしれない。

「そうか……
ああ ……きれいな日本映画の夜明けだった…… ああ……今日も暑うなるぞ……」
喜連川風連

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