荊冠

東京物語の荊冠のレビュー・感想・評価

東京物語(1953年製作の映画)
4.5
その家族の在り方はとうに失われたものであっても、親族のしがらみ、老いた親の寂寥、人を喪うことと、それを忘れていくことへの自責など、時代が変わっても変わることのない、家族という枠組みの中における人間の心境を見つめさせられる。
とみが亡くなった時、夫の周吉が取り乱したり泣いたりもせず、静かにひとりで夜明けを眺めていた姿には、一切皆苦を受け入れたような老いた者のひとつの心境を見た。「綺麗な夜明けじゃった。今日も暑うなるぞ」という迎えに来た紀子に向けた、自身の心境を語らない台詞に、彼の哀愁がすべて詰まっている。
原節子演じる紀子は、尾道から来た周吉ととみを温かく受け入れ、葬儀が終わるとそそくさと帰郷した親族に憤慨する京子を諭すなど、観ていて気持ちは良いが感情移入しにくい模範的人物のように描かれるが、終盤で戦死した夫を忘れかけていることに自責の念があると明かされた時、彼女のそれまでの親切な行為には罪滅ぼしの気持ちがあったのでは、紀子もまた滅私だけの人物ではなかったのかもしれない、と気が付かされる。
冒頭と最後の構図がまったく同じで、とみの姿だけがない、この計算されたシーンには感嘆した。
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