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ジャーニー・オブ・ホープ
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『ジャーニー・オブ・ホープ』に投稿された感想・評価

隠れた良作。ツタヤの発掘良品に選ばれていいと思う。
祖父からの手紙に「ここは天国だ」と書いてるのに感化され、トルコの貧困な一家がスイスへ亡命する話。

つ、つらい…。ホープなんてあったものじゃない過酷な旅。結末どころかずっと過酷。家族愛溢れる温かいロードムービーとかそういうの想像してたのに…いや合ってはいるんだけど。
“希望のある旅”ではなく、“見えない希望を頼りに生きる”と言う意味での希望なのだろう。
次々と襲いかかる不条理な出来事、そして絶望的なラストで放心状態になった。あのシーンでの声が忘れられない…。

そもそも日本は島国で亡命や密入国なんて馴染みのない単語だから「でも犯罪じゃね?」と思うけど、悪いことをしてるとは一概に言えない。相当の決意が必要だと思うし、ましてや6〜7歳の息子を連れるとなると尚更。
うう…スイスの国旗すら憎い。
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

3.8
「ジャーニー・オブ・ホープ」

〜最初に一言、スイス映画の大傑作。1990年に作られた2時間もないこの作品は、とんでもなく現実感を持って描かれており、状況説明やドラマ性を排除したー種のドキュメンタリーを見ているかのような少年と両親のロードムービーである。アカデミー賞外国語映画賞受賞したにも関わらず、これがVHSのまま埃をかぶっている事に許せない気持ちでいっぱいだ。政治や社会的事柄を抑えて、家族の悲劇にフォーカスした共感を呼ぶ詩情たっぷりの一品だ。私はこの映画を境界線を超えられなかった人々の物語を取り扱った作品の中の優れた1本として位置づける〜

冒頭、トルコ東南の山間部にある貧しい村。美しい妻と7人の子供たち、年老いた両親と暮らす。スイスに亡命した叔父から絵はがきが届く。牛馬、土地を売り払い、希望の旅へ。雪道、凍てつく寒さ、死。今、希望をに向かって…本作はフランスの「シラノ・ド・ベルジュラック」他、世界各国の数多くの名作を抜いて、見事当時のアカデミー賞最優秀外国賞に輝いたクサヴァー・コラー監督の傑作で、脚本も務め、カンヌ国際映画祭やモントリオール映画祭で数々の賞受賞して、スイスのベテラン映画監督として一世風靡した。残念ながらこの作品は円盤化されておらず、この度VHSを購入して初鑑賞したが素晴らしいの一言だ。どうやら監督は88年10月15日の新聞のある記事に目を奪われたそうだ。それは、スイスへの不法入国者の悲劇的結末。スプルーゲン・パスで両親に連れられて20人の同胞と不法入国しようとした7歳の少年が、飢えと寒さのため死亡したと言うものだった。

この記事に大ショックを受けた監督は、世界中にいるであろう、こーゆー希望を持った人々のために、彼らがどんな思いで故郷を捨てて何を求めて危険な賭けに命をかけざるを得なかったのか、そして私たちが今何をなすべきか、と言う事柄を映画に取り入れ考えさせる時間を与えてくれていた。主人公たちの国に精通してない彼は、宗教的、政治的、社会的な背景をリアルに描くため、トルコの女性脚本家フェリデ・シセコグルの協力を得て、ドラマティックなテーマを持った世界性のある映画を作り上げたと述べている。この映画を見て個人的にびっくりしたのが、なんと主人公を演じていたのがカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドール賞受賞したトルコ映画の傑作で、トルコの監督としては像が立てられるほど有名なユルマズ・ギュネイ監督の名作「路」に出ていて、世界的に有名になった(日本ではほとんど知られていない)ネグメットゥン・シバノグルだったことにびっくりした。残念ながらこの作品もVHSのままである。早くソフト化してほしい。




さて、物語はシリアとイラクに隣接する、トルコ東南の山間部にある小さな村マラッシュ。35歳になるハイダールは、聡明で美しい妻メリエムと、7人の子供たち、そして年老いた両親と暮らしている。荒れた野原にわずかばかりの羊を追い、干からびた畑から取れる穀物でやっと一家が日々を食いつなぐ貧しい生活。いつか、こんな生活から抜け出したい、そんな思いに火をつけたのは、遠い異国スイスから届いた1枚の絵葉書だった。かつて祖国を捨て、スイスへ亡命した伯父ジェルマからだ。仕事もある。ここは天国だ。この一言はハイダールの胸を激しく揺り動かした。先の見えた生活、こうして日々老いていくのだろうか?せめて子供たちにチョコレートでも買ってやれるような余裕があれば。街で出会った行商人からスイスへのビザを手に入れるツテがあると言う話を聞いたとき、憧れは確かな形となって彼の胸で息ずき始めた。

彼は、反対する両親や妻と何度も話し合った。眠れぬ夜。やがて、固い決意に家族が折れた。牛馬も、羊も、命より大切な土地を売り払い、ハイダールは希望の旅の一方を踏み出した。最初、彼は妻と2人で立ち、仕事のメドが立ってからみんなを呼ぶつもりだった。が…父の子供を1人連れて行って、しっかり教育しろ。将来の希望になると言う言葉に、兄弟の中でも1番賢い、7歳のメフメット・アリを連れて旅立つ。バスでイスタンブールへ。そこで、ヤーサルと言う仲介人から旅券を受け取るが、子供の分はないと言う。今更アリを残してはいけない。3人は、コンテナに忍び込み、イタリアのナポリ行きの船に密航すると言う危険な賭けを。親切な異国の船員が彼らを自分の寝室にかくまってくれた。2日後。ナポリに着いた3人は、大型トラックに便乗させてもらい、ミラノに向かう。運転手のラムゼルは、この言葉も通じない異国の民をうさん臭気に見ていたが、アリの屈託ない無邪気さに、次第に心を開いていく。

途中、昼食に立ち寄ったドライブインで、初めて見るスパゲティに目を丸くするアリ。おどけて食べ方を教えるラムゼル。あるいは、ポラロイドカメラで撮ってもらったラムゼルの記念写真を大切にポケットにしまった。スイスに住みたいのか。じゃぁ、俺と一緒に行こう…幸せは目の前に思われた。が、ラムゼルとの楽しい旅は、長くは続かなかった。スイス国境で税関係に見咎められた3人は、不法入国者として、ミラノへ強制送還される。ミラノ駅構内で途方に暮れる3人に、怪しげな男が近づく。とある事務所風の建物に連れ込まれた3人。3000ドル支払えばスイスへ密入国させてくれると言う。しかし、有り金を全部叩き、メリエムの金のイヤリングを売ってもまだ足りない。その時、傍で聞いていた同胞が、黙って金を貸してくれた。

異国の地で一筋の希望に全てを託す思いは同じだ。案内された隠れ屋には、密入国を企てる20人ほどの同胞が不安な日々を送っていた。翌日、一行はバンでコモ湖へ。そこから4500フィートほど上ったアルプスの麓で、アルペン・ガイドのマッシモが待っていた。ここから歩いて山を越えれば、約束の地スイスだ。しかし、悪天候の上、女、子供までいる。自殺行為だ、と主張したマッシモは殺されて一行は案内もなく、装備もなく、10月の厳しいアルプスの山中に踏み込んだ。夜の闇に紛れて尾根をいく。急な斜面で滑り落ちるもの、大きな荷物を投げ出すもの、神に祈るもの、アリの顔にももはや笑顔はなかった。そして、希望への旅は今、死と闘争へと変わった。命がけでたどり着いたスイス国境。が、すんでのところで番犬に嗅ぎ付けられ、雪の中を逃げ惑う途中、ハイダールとアリはメリエムや他の仲間達とはぐれてしまう。

メリエムたちは、国境警備隊に保護されるが、その頃ハイダールは果てしなく続く雪原で立ち往生していた。飢えと寒さが幼いアリは倒れ、息子の体を必死で温める彼。だが、息子の体は次第に冷たくなっていく。神よ…悲痛な叫びは静寂に飲み込まれた。翌朝、通り掛かってた車が2人を病院に運んだ時、すでにメフメット・アリは事切れていた。息子の死を知って悲しむ暇もなく、無情にもハイダールは、密入国と息子を死なせた罪で拘置所に送られる。ニュースを聞いて、スイスからラムゼルが駆けつけてきた。葬儀にはぜひ行きたい。俺に何かできる事はないか?と問うラムゼルに彼は初めて大粒の涙を見せると、あんたと友達になりたかった…と答えるのだった…とがっつり説明するとこんな感じで、眼下に広がる広大なトルコの大地を1人の男がじっと見下ろしているかのような映画であり、かつて栄光を誇ったこの地は、今貧困と不況にあえいでいるのを映画全体から汲み取れ、多くの人々が祖国を捨て、約束の地を求めて、希望の旅に出るあたたかいストーリー仕立てである。

この映画をみて思ったのが、果たして全財産を売ってまでスイスへ行く価値があったのだろうか…。ここまでデメリットを抱え込みながら子供を連れて旅立つのはあまりにも危険である。だが、主人公一家はそこに行けば幸せが掴めると信じていたのだ。今自分たちが住む貧困地域にいたとしても、明日生きていけるかどうかわからない。そんな日々だったら命がけの旅にでも出たくなるのだろう。その気持ちは非常にわかるが、やはり子供が犠牲になっている分、なかなか判断が難しいものである。過酷な運命に押し流され、悲劇的な最期を迎えてしまうが、主人公はどんなことがあっても雑草のごとく、立ち上がり、希望へと向かって歩き出そうとする姿が唯一の救いだろう。生きるための戦いを忘れた現代人が改めて見るべき作品ではないだろうか。感動の涙を呼び起こす事は非常にあり得る作品である。

いゃ〜、単純な人間にはストレートに感動するような作品である。人間がなぜこれほど悲しい目に会わなくてはならないのか、涙なしには見られないだろう。どちらかと言うとドキュメンタリーの感触であり、リアリズムタッチと言う感じの映画ではなく、そもそも父と息子を描いた作品は他にもたくさんある。有名どころで言うならばイタリア映画の「自転車泥棒」同じくイタリア映画の「息子の部屋」である。ところで、主人公の子供は7人衆のだが、大抵貧しい家庭には子持ちが多いと言う事がある。一人の息子がなくなり、残りの姉妹の反応がどうなったのか、それは観客に投げられた。そしてここ最近見た映画でロシア映画の「ウルガ」(舞台はモンゴルと中国)と言う作品に羊を殺すシーンがあるのだが、この作品も大量の羊が出てきて、その羊を殺傷する場面がある。スイスに行こうと決意したのが、我が子にチョコレートを食べさせたいと両親揃って思ったからである。果たして、このような親子が存在するのだろうかと色々と考えてしまった。

だがこの映画も実話ベースにしていて、その部分がホントかウソかわからないが、私からすればなかなかあり得にくいシチュエーションだなと思う。しかし実際にここまで貧しい生活をし始める、自分の子供にチョコレートを食べさせたいから異国の地へ旅に出ようと言う決意が湧いてくるのかもしれない。あの時、息子にチョコレートを食べさせたいと思わなければ、あれほどまでの悲劇が彼に襲うことがなかっただろう。たいていの両親は必ず自分を責めて、そう思うはずだ。そして画面に映る札束、この札束がこのロードムービーの最中に、盗まれてしまうのではないかと言う不安、貧しいのになぜその札束を持ったのか、全財産を売り払ったからである。このようなことをしてチョコレートを食べさせるために、と私は何度も思った。そこまでチョコレートに価値があるのか、それとも安住の地のためにスイスへ行くのか。価値があったのか、僕も行きたいと言った息子を抱きしめた父親、そして母親もついていき3人の旅になり始める。

しかし、現実は残酷である、いかに他国へ入国するのが困難かがこの映画を通して知らされる。もちろん、テロリスト、悪人などが他国へ侵入を防ぐために厳戒な体制をとっているのは100も承知、しかし端から見れば、それは当たり前のことだが、現実(張本人)になってみれば、なんとも嫌な規則だろうと思ってしまうかもしれない。しかしそれは仕方のないことである…。息子自身も、好奇心が旺盛で、路線のシークエンスでは、列車が近づくと周りの子供たちが線路から離れるんだけど、彼だけは最後まで残っている。大人たちが集まってイスラムの祭礼を行っている時に、彼は他の子供たちと一緒に路線に身を伏せるのだ。これはVHSのジャケットのー場面である。この好奇心が彼に悲劇的な結末を与えてしまったと言って良いのだろうか。

そもそもこの映画は子供だからといって妥協させずに、3人ともが同等に扱われている。たいていの子供映画と言うのは、子供自身に人格を与えていない作品が多いが、この作品はそれらとは違う。この映画は旅に出るまでの過程を丹念に描写していて、非常にそこら辺が良かった。どれほど生活に困窮しているか、出稼ぎ移民がどれほどお金を貯めるのに苦労するのか、そして息子のパスポートを用意していなかったために、密入国と言う危険なことをしなくてはならなくなる。そもそもなぜ子供のパスポートがないのか、父が抱いた移民の夢は息子自身の夢でもあったのかもしれない。そうすると、やはりこの3人の旅は皆同等なのである。現在の日本では移民を受け入れる側の国となっている。実際研修生としてベトナム人や中国人、韓国人が多く日本へ来ているが、やはりニュースを見るたんびに、色々と事件が起きている。この間見た日本映画の「素晴らしき世界」にも移民ではないと思うがベトナム人研修生らしき青年たちがアパートに住んでいた。いよいよ日本映画にもこのベトナム人と言う人種が何の違和感もなしに登場する時代が来たのだと悟った。

子供連れの移民はやはり非常に大変で、実際のクルド難民もやはりたくさんの子供を連れていたそうだ。ヨーロッパの街を歩いていると、極端にみすぼらしいなりをした人に出会う事がよくあると外資系企業に勤めている従兄弟の旦那からよく聞かされるが、そういった人物はやはり難民なのだろう。ここが終着地点なのか、この作品の主人公もミラノでひと休憩するが、それらと同様にもっと先の目的地があるのかもしれない。1人のみすぼらしい格好をした人を見るだけで、ここまで想像豊かになれる。さて、話は少し変わるが、この作品に流れる音楽が非常に感受性豊かで良かった。素朴でヒューマンな音色を聞かせるヤン・ガルバレクのソプラノ・サックスがなんとも印象的である。本作のために書き下ろした曲では無く、元があった楽曲が使用されている。物語自体は確かに暗いのである。日本人にとって国境を越えると言うことがない島国に生きているのが、どれほど幸せなことなのかをかみしめると同様に、いわば国境(ボーダー)を越えて行かなければ生き延びれない一家を通して私たちが学ぶべきとは、それに対しても色々と考えさせられる映画である。

これを言うとネタバレになるからあまり言えないのだが、結局主人公たちって、ボーダーラインを超えることができなかったのである。しかし次のシーンでは、スイスであろう病院で目覚めるため、一応は国境線を超えたと言うことになるのかもしれない。しかしながら本来あるべき姿での国境越えると言う、境界線を越えると言う事は果たしきれなかった。そういったなんとも落ち着かない胸騒ぎのまま幕切れになってしまうこの作品は、88年に実際に起こった事件である。正直な話、この作品はその数%の内の失敗者たちを物語っているが、成功者も中にはいるはずだ。成功さえすればそれまでの道のりがどんなに困難であって、苦痛にまみれていても、幸せを噛み取ることができるだろう。しかしながら、息子を死なせてしまい、その罪悪感に打ちのめされ、結局思わぬ形でスイスの境界線(国境線)を超えた父親の心の中を見たときに、なんとも涙が出てくる。彼のクライマックスでの瞳のフレームには言葉が出ない。そしてあの父親が息子の死後に、トラックの男に友達になりたかったと一言言うあの場面で私の涙袋ははち切れた…。

これは私のうがった見方かもしれないが、この作品が伝えたい事と言うのは貧困であったり、政治的な側面も多少なりともあると思うが、何よりも国をまたがる行為(、国境線、境界線)は、どれほど大変で、命の代償を伴うかを説いているように感じる。そうすると難民たちが押し寄せてくることもこの映画を通して見ると、あの映画の結末になりたくないと言う難民たちが現れれば、難民が来なくて済むと言ううがった見方もできてしまう。何が言いたいかと言うと、この映画が難民たちの障壁になっていることもあるんではないかと言いたいのである。と深読みしているが、この監督はスイス人であり脚本家はトルコ人であり出演者も同じくトルコ人であり、撮影者はハンガリー人であると言う事からすると、多様な民族が結成して作品を作っているため、境界線の絶対性をテーマにしているんだろうなと言う事は何となくわかる。音楽をプロデュースしているのはドイツのECMレーベルだし、そのアーティストたちはノルウェー出身であるし。


ここからは個人的に印象に残った事を話したいと思う。まず冒頭の儀式のシーンは、非常に多文化に興味がある私からすれば楽しめた。といっても羊を殺す場面は惨たらしいが。そして主人公の息子が友達と迫りくる列車の線路にしがみついて、半ば度胸だめしかわからないが、後に駆けつけ父親に叱られるも、勇気を絞って絶えず路線の中へ潜っていた場面から流れるJan Garbarek & John Abercrombie & Nana VasconcelosのSoria Mariaは、素晴らしい音楽であり、それとともにカメラが後退していく演出は最高である。そこからトルコの荒涼としたゴツゴツした何もない風景がフレームを埋め尽くすのである。まだ未見の方はお勧めできる。
旅行はマジで下調べが大事