クシーくん

地下鉄(メトロ)に乗ってのクシーくんのネタバレレビュー・内容・結末

地下鉄(メトロ)に乗って(2006年製作の映画)
2.2

このレビューはネタバレを含みます

高校生の頃、地下鉄の広告でよく見かけた記憶があるが、まさかこんな話だったとは…。

地下鉄に乗って過去にタイムリープして、自分が嫌っていた父の過去を知る、という前半のプロット自体は良いと思うが、その後がダメだった。

メトロに乗って時間旅行する設定ならあくまで電車に乗る所はしっかり描かなくてはいけないと思うのだが、冗長だと判断したのか、或いは途中から面倒臭くなったのかチープなCGでごまかしたり、適当に省いたせいでタイムリープの過程がどんどん雑になっていく。後半ではいきなり満州の紛争まっただ中の更地に投げ出されている。意味不明だ。もはやメトロである必要性すらない。

その他にもこの話には多くの矛盾点がある。例えば前半の兄貴の死について。これも必死に過去を変えようと努力していたが、結果的には過去は不遡及であるというタイムトラベル物定番の理屈を持ってきたまではいい。その後のみち子の行動と結果が余りにも辻褄が合わない。原作は未読なのでどうかは知らないが、ここに脚本家(作家)の説教臭い見えざる手が露骨に浮き出ていて不愉快。自分に取ってプラスには過去を変えられないけど、マイナスに変える事は可能というのがシンプルに底意地悪い。
みち子の行動原理が全く納得のいく物ではないし、無理やり悲劇にしているとしか思えない。真次を愛しているが故の行動なら、自己犠牲(=心中)によって相手の幸福を願った為、という実に嫌な話になるし、真実を知って精算したくなったが故の巻き込み自殺なら余りにも救いがなさすぎる。

家族の不和と自身の不倫、自分自身の家庭的な問題をかつて憎んでいた父親に投影する事で、家族の絆を再生する…みたいな話に持っていきたかったのだろう。それらを全く上手く処理出来ないまま何となくいい感じの話にして終わらせようとしているが、全然良い話ではない。不倫相手に犠牲を強いた上での過去の決別はありえないし、そのまま元の通り家族をやっていく主人公にも超絶違和感。
反倫理性を貫き通してどうしようもない人間を露悪的に描く意図がある作品だというならまだ分かるが、下手に感動させようとしている演出と私の中の嫌悪感が全然マッチしなかった。

岡本綾はけだるいOL感と体を張った演技が良かったと思う。諸般の騒動で引退せざるを得なくなったのは残念。

あと2006年の邦画だから期待はしてなかったけど、三丁目の夕日以上にセットがちゃち。
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