Ricola

にんじんのRicolaのレビュー・感想・評価

にんじん(1932年製作の映画)
3.6
「自分の殻に閉じこもるな」と言われても、そうするのは防衛本能なんだから殻を破ることってかなり難しい。
さらに最も身近な存在である親から嫌われていると感じていたら、誰も信じることができなくなって殻から出ることなどできないだろう。

同名児童文学を原作に、稀代のストーリーテラーであるジュリアン・デュヴィヴィエ監督によって手がけられた作品。
親から疎まれて「にんじん」とバカにされている少年の、愛情に飢えながらも希望を失わない真っ直ぐな姿に心打たれる。


デュヴィヴィエのストーリーテラーぶりは、作品の構成にちゃんと現れている。
例えば冒頭のシークエンスでは、先生とにんじんの会話と、お手伝いのアネットと年配の男性の会話のシーンが交互に映し出され、ストーリーも同時並行で進む。
彼らの会話の内容は、「にんじん」ことフランソワの母親の話題である。
ルピック夫人つまりフランソワの母について先生は評価する一方で、男はアネットに小難しい人だと注意喚起している様子が対照的に描かれる。
彼の母親には外の顔と内の顔という二面性があることがまず明かされるのだ。

主人公のフランソワの心情が可視的な演出によって見事に表現されている。
例えば、フランソワが母親に言われて夜に納屋の扉を閉めに行くとき、まだ幼い彼は怖がっている。
なんとか勇気を振り絞って外に行くと、彼の恐怖心が可視化される。
連なるお化けのような物体が、二重露光によって暗闇のなかで漂っているように見える。彼はそれを恐れながら走って納屋へと向かっていく。
また、二重露光の演出は他のシーンでも見られる。
フランソワは眠っているはずだけど、幽体離脱した彼が二人現れ、向かい合わせで浮かび上がって話をし始める。愛情に飢えている彼の悲しい葛藤が示される。

一方でのびのびとした雰囲気の田園風景が、フランソワの置かれた状況のなかでも心の拠り所として描かれている。
フレーム内に収まった風景を絵画のように見せるショットはもちろんだが、部分的に風景を切り取ったショットからは、特に
キラキラ光る小川のせせらぎ、鳥や子豚、牛や羊の群れに接近して映し出す。
入道雲がそびえ立ち、草がそよ風に吹かれている。
このような平穏な自然描写に我々の心が休まるのと同様に、フランソワも一時の安らぎを感じているのではないか。

子供は大人が思っている以上に多くを察している。だからこそこの作品のフランソワも、威圧的な母親を恐れて様子をうかがってばかりで本音を言うことができない。
子供には思っている以上の大きな愛情を注がなければいけない。全身全霊のありったけの愛情で、「あなたは大切な子でその存在は唯一無二だよ」と伝え続けなければならないのだと、わたしは思う。

フランソワの子供らしさがいきいきと描かれる一方で、彼の抱えている孤独感と不安感が切なくもファンタジックに表現されている。そのためか、この作品のどうしようもないほどの絶望感をダイレクトに感じすぎずに済んだようだった。
Ricola

Ricola