GaPTooth

暴君ネロのGaPToothのネタバレレビュー・内容・結末

暴君ネロ(1932年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

原題:SINE OF THE CROSS

チャールズ・ロートンが嫌らしくも怪しい暴君ネロを演じている(*’ω’ノノ゙☆パチパチ

西暦64年。ローマ。
大火の発生から3日目の夜。
「大火の原因はネロの仕業だ」との噂を払拭し、ついでに邪魔なキリスト教徒を一掃するために「大火の原因はキリスト教徒が放火したせいだ」と吹聴するよう命令するネロ。
その噂が広まり、キリスト教徒はローマ市民からの憎悪の的になってしまった。
※このことは当時の歴史家タキツスも書き残している。

そんな状況下、パウロの使いとしてエルサレムからローマに伝道をしにやって来たテトスは、会堂で地面に十字のマークを書き、地元の長老ファビウスとのコンタクトを取る。
テトスはチェスティオ橋のそばで開かれる集会でパウロからの伝言を伝えたい意思を伝え、2人はその場を後にするが、十字のマークを消しておけば良かったのにそのままにしとくから「キリスト教徒がいるぞー!ライオンの餌食にしろ!」と捕まっちゃった。

そこへ!マーカス長官登場!ファビウスとテトスを庇うマーシアから事情を聴く。
マーカスから「信仰は?」と聞かれたファビウスは「私とテトスは哲学者だ」と答える。正直にキリスト教徒ですって答えたら死ぬこと決定だもんね。
マーシアに一目惚れしたマーカスは市民を解散させてファビウスたちを自由にする。

まだ幼い子供であるステファンが捕らえられて拷問を受けた末に集会の日時や場所を話してしまう。

そのためチェスティオ橋の近くで集会を開いていたキリスト教徒たちは、ローマ軍の急襲によりパニックに。
その様子を見たファビウスは神に祈りを捧げ(マタイによる福音書6:3ー12)、イエスの語られた「9つの幸い(山上の垂訓)」を復唱し信仰を公にする。そして殉教死。テトスもまた殉教死。

マーカスは遅れて到着。
集会に集まっていた人々を捕らえて軍の牢獄へ送る。円形競技場の地下牢でなかったことはマーカスの配慮だろう。

マーシアはマーカスの屋敷に囚われて"心と思い"への信仰の試練に直面する。
が、円形競技場の地下牢に送られるキリスト教徒らが歌う神への賛美の歌がマーシアの"心と思い"に力を与え「仲間と一緒に信仰と共に生きる」決意を固める。

ネロの命令により、キリスト教徒は円形競技場で見せ物として処刑されることになるが、マーシアも送られる。
マーカスはネロの前でマーシアの命乞いをする。ネロは「マーカスが幸せになるなら良いんじゃないの」と言うが、王妃は頑なに拒否しネロを思いのままに操る。
結果「マーシアは信仰を捨てるなら生きる、さもなくば処刑」となる。

さて円形競技場。
キリスト教徒は出し物の1つにされる。
「キリスト教徒100人を反逆罪により処刑」と告知されている。

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ここからのシーンはたいへん興味深い。
キリスト教の持つ"本来の意味"が描かれているから。
イエスが地に来られ、父なる神のご意志を完全に成し遂げ、磔刑上の死によって神と人類の仲介者となられ、復活して昇天され神の前に"命の犠牲の価値"を差し出されたゆえに『神に信仰を持つ者が神との親密で平和な関係を享受し肉体は死んだとしても約束の時に再び会える』希望を持つことができるようにしてくださったってことが、台詞ではなく演出で分かるようになっている。神の愛(アガペー)は他の何物にも勝って強く深いことを物語っている。これは観て良かった(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
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地下牢ではキリスト教徒らが「9つの幸い(山上の垂訓)」を唱え神に救いを祈り求める声が響く。
絶望し弱音をはく者には、イエスの言葉を思い起こさせて、その模範に倣うよう励まし合う。
状況を把握していない幼子の笑い声が響いて、皆は「天の王国に入りたいと願う者は皆、幼子のようでなければならない」と言われたイエスの言葉の"意味"を思い起こしてハッ!とするのだった。

出し物が始まる。
ガリア人、ギリシャ人、トラキア人の殺し合い、像vs人、虎vs人、牛vs人、鰐vs人、熊vs人、ゴリラvs美女(笑)、ピグミーvsアマゾネス、そして遂にキリスト教徒が競技場に引き出される時がきた。
神への賛美を歌いながら出ていくキリスト教徒たち。
母親を殺された少女が聞く「どこに行くの?」と。祖父は答える「お母さんが待つ所に行くんだよ」と。悟る少女の信仰が尊い。

キリストの受難を思えば予期すべき事態を受け入れるキリスト教徒の姿。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!ヤハを賛美せよ!

ステファンが"死への恐れ"をぬぐい去り競技場へ出ていくと、ライオンに襲われ死に逝く仲間たちの姿が|д゚)!!殉教するキリスト教徒たち。ステファンもまた殉教死。
キリスト教徒たちが円形競技場で受けた仕打ちの描写は出てこないが、察することはできる。

マーシアが1人で残されていた所へマーカスが「信仰を棄てろ!そうすれば命は助かる。信仰を棄てて妻になってくれ」と説得しにくる。が、信仰の篤いマーシアに影響を受けたマーカスはマーシアと共にライオンに襲われることを選ぶ。
2人は神の愛により天の王国で真の意味で結ばれるのだろう...で、THE END🔥

ついでに。
ローマの歴史家タキツスは「死には嘲笑が付き物だった。[クリスチャンは]獣の皮を着せられて犬にかみ裂かれたり,十字架に釘づけにされたり,燃料にされ,日が沈むとともしびの代わりに」,皇帝の庭を照らす人間たいまつにされたりしました。クリスチャンの味方ではなかったタキツスは,さらにこう述べています。「彼らは有罪で,見せしめとしての処罰に値したとはいえ,公共の福祉のためにではなく,一人の男[ネロ]の残虐さのために殺されたため,同情をさそった」と書き残している。

『暴君ネロ』という邦題はクリスチャンにとってはまさに適切。
マーカスが主人公だと勘違いすると"マーカス目線"で本作を観てしまうので、作品の意味するところを取り違えてしまうかもしれない...(;-ω-)ザンネンネ
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