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カポーティのotomisanのレビュー・感想・評価

カポーティ(2005年製作の映画)
4.1
 全国紙といえる新聞がないアメリカでNYの新聞にはるか数千キロ、カンザス州の殺人事件が載るのは、その状況が稀に見るものだったからだろう。怨恨も物取りも縁遠そうな農場一家4人の死以来、不可解な犯行が連続することを恐れるかのように同地の住民が深夜にもかかわらず家じゅうの灯りを燈し息をひそめ警戒したのも、遠くオオカミの駆除、先住民の駆逐達成以来に違いない。

 TCが当初注目したのも、被疑者や参考人、差別の的となる新来の移住者、渡り作業人への人々の詮索や追及、現場周辺に散居する被害者一家とさして変わらない暮らしぶりな人々が抱く、犯意不明なればこそ未知な目的達成までこれが連続するという恐怖とおそらく怒りであっただろう。
 しかし、ふた月も経ず犯人が捕まってみれば、その片割れペリーの人となりがTCのこころを捉えてしまう。

 殺害犯ペリーの死刑執行が擱筆の目標点であるなら、それまでに全ての証言を得なければならない。あるいは、そのためには死刑執行を控訴と再審で引き延ばさなければならない。だから、弁護士の斡旋にも当たる。こんなTCとの接触でペリーらもそこを飲み込んで、犯行の状況を告白するのを渋り、あるいは減刑に有利な記述を求め、執行までの時間稼ぎに励むらしい。
 そうする間の事をTCもペリーも互いの「友情」と語り合うに至る。これをどこか狐と狸の化かし合いのように眺めてしまうが、ある一点において見れば、別の事情も感じられるだろう。

 それが、二人とも親に恵まれず生活が転々とした事である。これをTCは、二人とも同じ家で暮らしながら、出口は自分は表から、ペリーは裏口から出て行ったと例える。
 この違いはTCが言葉を操って物書きで生きる道、さらには多彩な交友を持って内外ない自分を発揮する道を選べたのに対して、ペリーは出廷中でさえ落書きが止まず、周囲がどうあれ我関せずな様子である事と関わっていそうだ。そんなペリーが如何にして殺意を実現できるようになったのか。

 しかし、そんなペリーでも猶予期間を通じ日記帳に自分の来歴に関わる事を始め、さまざまな私事を書き留めている。そこにスピーチ原稿としての一文があり、この映画の中で、それはTCが日記を読み込む中でそれを発見した事、そして再び、ペリーがその記述の通りの事を執行間際、家族あての遺言を口述する事で表される。
 内に籠って落書きともつかぬ作画にふける男が、何の栄誉を得るつもりでスピーチ原稿を認めたのか?その原稿自体「何を述べたいか思い出せない」と断っているありさまだ。そして、今わの際の発言もその通りを述べる。
 おそらく、執行官たちはそれが「遺族に伝えることを思い出せない」との意味で捉えただろう。つまり、「伝えるべきことは何もない」と、そして執行は再開され続く言葉は遂に語られない。

 しかし、TCはペリーの日記の中のそれに続く記述を知っていて、それは未知な誰かに対する何らかの謝辞であった。生涯そんな栄誉に与れる見込みのないペリーが言いたかった言葉には物取りや殺人とは縁遠い感謝の念が籠っている。
 これを辞世に言いかけて中断された形のペリーが抗って発言しない事にTCは戸惑い不満を抱いたに違いない。当然そこに自分の名前が含まれるはずであったとの思いからである。もちろん世間体を考えればそれでよかったのだ。しかし、生き残る自分のこころと釣り合うペリーであるのか、それともこちらの不実とも釣り合うペリーでもあるのか、真相はもう誰にも分らない。

 5年もかけて知り尽くしたつもりのペリーの事が最後のひとときで全て掴み損なわれたように思える。ペリーは何かを言い澱んだのか、単にあの言葉の通りに過ぎなかったのか、5年を新しい文学に資する文章を積み上げるための手練手管の発揮に費やして、不実の数々を隠しながら「友情」も築き、互いを語り合い教え合ってきたはずであるが、費やした精根が真実を掴み損ねて回収不能、雲散してしまったように、もうTCには大きな書き物が編み出せない。
 しかし、それはTCにとって長編で扱う人物としてこうまで関心を寄せられる相手が最早見つからないという事かもしれない。では政界や財界、芸能界あまたいる知人ではどうか?彼らがどこまで自分を飾り立てて語るか、真実の自分がどんな姿かなぞ認めたくない人間から何を掘り起せるだろう。

 おそらくTCは生きて娑婆の空気を吸ったことのない想像上の人物の話など沢山なんだろう。このあと書き物を巡って対立する相手も増え、社交界から遠のき、かといって名誉棄損で訴えられるわけでもなく、言ってはならない事実を言ってしまって疎まれる厄介者に自ら陥ってゆく。
 そんな没落の入り口で味わった敗北に同じ家で暮らし、出口を異にした自分とペリーがやがて同じ疎外の道をたどることになる予言を得たとはその時は思いもしなかったのではないだろうか。
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