やち

幻の光のやちのネタバレレビュー・内容・結末

幻の光(1995年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

「幻の光」1995,日本
監督:是枝裕和
原作:宮本輝
ヴェネツィア国際映画祭金オゼッラ賞(撮影賞)

・祖母の死、夫の死を経験した女性の、グリーフワークを描いた。喪失と再生が一つのテーマだろう。作品には衣装やセット、撮影の仕方からかどこか死を漂う雰囲気を感じた。
・撮影:長回しと定点が基本。俯瞰的なショットが目立った。個人的に好きな撮り方。構図が美しく、キッチンや和室を撮ったものは小津を思わせた。影、シンメトリー、トンネル、自然を大胆に据えた美しいカットなど、ずっと見ていられる画が多かった。
・音:めちゃ大事にしてるんだろうなと思った。電車、ミシンの音、自転車、車、波の音、風の音、決して口数の多くない女性の胸中を音に委ねて伝えようとする演出が好きだった。情念も、能登の自然に溶けていくような場面も目立った。
・台詞:最後。祖父が沖の美しい光に誘われる時があるっていうところ。あの台詞で一気に「幻の光」という映画がバチンといった気がした。

・最初の祖母との橋のシーンは、なぜ橋なのか。橋の向こうに消えていく構図が三途の川、死を連想した。
・シーンとして、子供が自転車に気になり始める、親しい老婆が蟹取りに出かける、弟の結婚式での再訪、新しい夫との事後のやりとり、葬列、よかった
・死への憧れがあったのかな
・トンネルの向こうに消えていく、幻の光に消えていくという、死の暗示だった
自転車で跡を辿るように漕ぐシーンもまたいい
・前半での電車の役割は不吉そのものというか、連れ去ってしまうものという印象が強い
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