Supernova

ラルジャンのSupernovaのレビュー・感想・評価

ラルジャン(1983年製作の映画)
4.6
一枚の偽札に人生を狂わされた人間が辿る運命。

金は諸悪の根源。
文明社会史上最高の発明であり最大の汚点。

凄まじい作品だった。本作も含めまだ2作しか見ていないので確かなことは言えないが、ブレッソン作品の主題は罪の意識と力のあるものが力無きものに及ぼす影響について?
本作の場合、力の関係にあるのは金という強力な概念と無力で無実の青年、そして罪の意識の軽い裕福な青年たちの些細な悪戯に翻弄された青年に芽生える罪の認識についてだろう。

この映画本当に90分も無いの?
軽く3時間くらいに感じる濃密さだった。

不慮に罪を犯してしまったものが背負うにはあまりにも不条理かつ重くのしかかる罰は彼の心を蝕み、やがて心の器から溢れ出るその負は外の世界をも蝕み始める。
そうして社会に裏切られた青年がまた社会を恨むのが"習わし"であると歴史は何度も語ってきた。これが俗にいう「無敵の人」という名の怪物だ。

マイナスの掛け合わせで生まれる究極のプラス。それがこの傑作。
極限までセリフを排除した脚本。見せずに語り、見せるところは巧みな視線誘導が施されていて、見せず語らずのところは音で語る。
映像の全てが美しい。

感情の表出を徹底的に抑える演技スタイルがブレッソン作品の特徴なのか。その代わり感情は行動と発言によってきちんと示される。つまり行動と感情が直結しているからこそ、怒りはああいった形で発露することになる。あまりに分かりやすいからこそ恐ろしい。

その演技スタイルのせいで、登場人物たちが完全に監督の駒でしかないのに、なぜかそれが全く不快にならない。むしろそれを期待してみている。唯一そのスタイルに縛られないのが子供たちで、それは彼らだけが笑顔で溌剌としている点から明らか。

ブレッソンは定点と動きを使い分けて人を撮る。似た演技スタイルを取り入れているウェス・アンダーソンは定点かつシンメトリーに拘った映像を撮る。一方でブレッソンは意図的に対称性を避けているようにすら感じる。片方には感情が宿っていて、もう片方には感情が宿らないのにはそういった違いがあるのかもしれない。
監督のディレクションや意図が手に取るように理解できる。それがいかにすごいことか。それだけスタイルが確立されていることの証明。

終盤、安息の地に辿り着いた青年と老夫婦のやり取りは蛇とアダムとイヴの関係に似ていると思った。
そこは楽園。青年は蛇で、老夫婦はアダムとイヴ。蛇は果実を摘み取り、それをイヴへ渡す。イヴは蛇についてアダムに忠告されていたにも関わらず、その実を口にしてしまった。だから彼らは追放されてしまった。怒れる神の手によって。

ワンちゃんが一番の名優でした。

天才だな。見せるものと見せないものが全て計算されて設計されてる。
Supernova

Supernova