ぼさー

戦場のメリークリスマスのぼさーのレビュー・感想・評価

戦場のメリークリスマス(1983年製作の映画)
4.6
「美学」「贖罪意識」「極限の中での楽しい思い出」という、3つの人物視点、観点での死生観が描かれていたと感じた。
難解で退屈かと思いきや、明快でテンポもよく、美しい映像も相まって、あっという間に観てしまった。
何気に今回初鑑賞。もっと若い時に観ていたら理解できなかっただろうからこのタイミングでの鑑賞で正解だった。

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3つの観点のひとつめは美意識や美学。
規律が強制された世界で自分の美学をどこまで規律に織り込ませてやり通せるか?特に死と向かい合わせの極限の状況下で自身の美学にこだわり過ぎるあまり自らを危険に晒してしまう人間の性(さが)が描かれていた。
僕は学生の時、ハンドルから手を離して自転車で左右に曲がることができた。一時期、友達の家に遊びに行く時に一度もハンドルを握ることなく目的地にたどり着いたら良いことが起こると信じて手離し運転をしていた時期があった。その行為が危険であり交通事故や他人に危害を加えるリスクも認識していたが、手離しでゴールしたらかっこいいという自身の美学がチャレンジさせていた。

捕虜収容所の強固な規則から外れていくヨノイ大尉(坂本龍一)の言動は、ミステリアスな美学のこだわりの結果として描かれていたように思う。

その美学を鼻で笑うジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)もジャックなりの美学を貫いて死をかけて反抗しており、ローレンスから見れば不可解な言動をする人物と映っていた。

そしてジャックは死をもろともせずにヨノイ大尉に抱きついてキスを送った。ジャック流の美学の力にヨノイは圧倒されてしまったんだと思う。打ち負かされたショックと恍惚さが入り混じったヨノイの表情が何とも言えず美しかった。

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ふたつめは贖罪意識の観点。
ジャックの人生最大の後悔が学生時代に実弟を守らなかったことだった。ジャックはその罪を償うべく危険な戦争に身を投じ、捕虜となっても日本兵に反抗し進んで罰を受け入れた。
そんな彼が拷問的な罰のなかで人生最期に見たのは弟に赦される夢だった。彼は死によって救われたのだ。罪を償って人生を終えられた幸福を感じて最期を迎えた。

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みっつめは極限の中での楽しい思い出という観点。
戦後、ハラ軍曹(ビートたけし)は自身の処刑の前夜にローレンスを呼び寄せた。ハラは捕虜収容所時代のクリスマスの夜の出来事が本当に楽しかったと語る。人生最期にハラが願ったのはその些細な楽しかった出来事を再び同じ人物と共有し合うことだった。
敵も味方も規律に従って生活し娯楽のない極限の環境であったことが想像できる。
クリスマスの日に所長室に勝手に座って酒を飲み、気が大きくなり愉快になって独断で規則を破りローレンスを助けたことが人生のクライマックスだと感じたのだろうか。
我々には理解しづらいが極限の中の喜びや楽しい思い出とはそういうものではなかろうか?

僕も学生時代の過酷な部活動の中でベストといえる爆笑した思い出は、合宿の夜、消灯した後に先輩達とやったエロ限定しりとりである。

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番外として、よっつめはローレンスによる生存意欲の観点がある。
ローレンスは波風を立てず、日本兵に共感しながら安全な状況に身を置き、うまく生きながらえる。
我々現代人の感覚に近いローレンスの目を通すことで上記3人の死生観が奇異に映るように描かれていたし、3人のキャラクターが生き生きと際立つように描かれていた。ローレンスという常識人がいたことで物語がだいぶわかりやすくなっていたと思う。

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この作品では、坂本龍一やたけしの芝居が素人くさい感じではあるが、明瞭に区別されて人物のキャラが描かれていたのと、二人のここぞという時の迫真の表情が秀逸だったこともあり、主要人物達の存在感が抜群だった。素晴らしい映画だと思う。

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ビートきよしさん、映画評論家の樋口尚文さんによるトークイベント付き上映を鑑賞。結局出演はしなかったものの撮影現場のラロトンガ島に滞在したビートきよしさん曰く、夕ご飯になるとデヴィッド・ボウイが目の前でギター片手に陽気に歌を歌っていたとのこと。
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