ケジメピザ

戦場のメリークリスマスのケジメピザのレビュー・感想・評価

戦場のメリークリスマス(1983年製作の映画)
4.5
掛け値なしの名作!
この物語の主人公は ロレンスとハラです

あの 有名すぎるテーマ曲の使い方も見事
冒頭とラストで2回流れますが 両シーンとも映ってるのは ロレンスとハラ軍曹(武)の2人です

ですが オープニングとエンディングでは その2人の立場も境遇も未来も全く違う物になっていて それがメインテーマです

映画において「曲」と「映像」は常にセットです
冒頭の曲で映像を印象付けて エンディングで同じ曲を流す事で 観客に冒頭の映像を想起させます

このタイミングで観客は 冒頭ではハラが支配する側でロレンスは支配される側だったことを思い出し 今となってはそれが逆転している事に気づきます

決定的に違うのは ハラは「この後死に それを止められない」という事です
つまり この物語の語り部となったのは生き残ったロレンスなのです

その物語は 劇中で丁寧に描かれてます
ハラは支配する側ですが 捕虜側にも寄り添っています「清濁併せ吞む」といったキャラクターで その窓口がロレンスです

ロレンスもまた 通訳だけでなく諸々含めて 捕虜側との意思疎通を図ります
それは ある意味2人が運命共同体であり 友人であるという事です
ロレンスが生き残り ハラが最後にロレンスに連絡を取ったのが良い証拠です

つまり「個人」という単位でみれば 二人は友人になれるパーソナリティーなわけです
でも結果ロレンスは生き残り ハラは死んでしまいます その理由は「戦争」です

この作品は 戦争映画ですが戦闘シーンはありません
画面に映り物事を行うのは「人間(個人)」ですが それは彼らがやりたい事ではなく 戦争によって「やらされている」行為です
そして それが当たり前で抗えない支配であるという事が「戦争」の恐ろしさです

その支配の強さは 立場によっても変わります
その象徴が ヨノイ大尉(坂本龍一)です
彼は ハラを含めた全員に対して収容所の秩序を管理しなければなりませんが セリアズ(デビッド・ボウイ)に出会う事で迷いが生じ 彼やロレンスの扱いに対して葛藤します

結果ヨノイは更迭(後に処刑)され セリアズも新所長に見せしめとして処刑され ロレンスは生き残ります

そして ロレンスはクリスマスに助かり それを助けたハラはクリスマスに死ぬというラストシーンのコントラストが 虚しさ無情さを強調します

このラストでもう一つ ヨノイがセリアズの遺髪を大事に保管しロレンスに預けたというエピソードが ヨノイの愛が本物で純粋なものであったことの証です
でも その愛を表す事が出来ず それを引き裂いたのもまた「戦争」です


先にも書きましたが この作品に戦闘シーンはありません
大島渚監督がこの作品で描くのは 徹底して「人間」です
捕虜を取りそれを管理するのは個人ですが その行動をとらせたのは「戦争」という支配なのです

最後 ロレンスはハラに語ります
「あなたは犠牲者なのだ かつてあなたやヨノイ大尉の様に 自分は正しいと信じていた人々の…
もちろん正しい者など どこにもいない」

世界中のあらゆる地域で 全人類が戦争を経験し「戦争はしてはいけない」という結果はもう出ています それでも紛争や戦争はなくなっていません
このメッセージは不変で伝え続けなければいけません

歌で伝える人 小説で伝える人 絵画で伝える人 あらゆるジャンルでアーティストがメッセージを発しています

大島渚は映画人として 映画を通してそのメッセージを発します 私はそのメッセージが一人でも多くの人に伝わることを願っています
ケジメピザ

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