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ディア・ハンターのsowhatのネタバレレビュー・内容・結末

ディア・ハンター(1978年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

移民2世の悲哀と青春を3世たちはどうみるのだろう

なにしろうるさい映画です。ロバート・デ・ニーロ演じる主人公マイケルは、どこに行っても騒音まみれです。職場は製鉄工場で音と熱の洪水。街ではいつも仲間とつるんで大騒ぎ。ダンスパーティ、ボウリング、彼らは狂騒的に騒ぎ続けます。教会では賛美歌の大合唱、戦場ではヘリの爆音とベトナム語の叫び声。サイゴンでも街の喧騒とひとの叫び声。退役軍人病院へ戦友の見舞いに行けば看護師がトレイをひっくり返す。部屋にいても遠くから製鉄所の騒音。彼に静寂は訪れません。 例外は、彼が愛する山での鹿狩りのシーン。風景にふさわしい、荘厳なBGMが被せられます。「山で死ねたら本望」という彼にとって、大自然の中は唯一心安らぐ場所なのでしょう。 あと、出征前夜。いつもの仲間と大騒ぎしたプールバーで、一人がピアノを弾き出し、みんなしんみりとピアノに耳を傾けるシーン。本作中の静かなシーンはそこだけです。 これはおそらく、マイケルが置かれた心休まらない状況を暗示した演出なのでしょう。そんな中、彼は常に正気を保ち続けます。正気を保つだけでなく、ピンチでは仲間を励まし、脱走を画策し、傷ついたスティーブンを担いで裸足でジャングルを抜けます。スティーブンを通りがかりのジープに乗せ、自分は消えていきます。途中から彼の顔がスタローンに見えてきました。そんなクールなスーパータフガイであるマイケルは、戦場から無事に生還し惚れた女も手に入れます。彼のキャラクターは終始一貫タフガイであり続け、捻りがありません。彼が唯一失ったのは、親友のニックだけでした。 一緒に出征した仲間スティーブンは足を失い、ニックは心と命を失います。PTSDを患ったニックがロシアン・ルーレットから離れられないという設定には、説得力を感じませんでした。そんな症状ありうるのでしょうか。後半の脚本はまるで既定のニックの最期に向けて書かれたような、取ってつけたような強引さを感じました。 ニックが出征前に「俺のすべてがここにある。俺はこの街が好きだ」と語るホームタウン、ペンシルベニア。おそらくロシア移民2世である彼らの生活と青春はここのコミュニティの中で完結しています。彼らにはぬくぬくと居心地がいいこの街も、外から見ると大変均一かつ閉鎖的なコミュニティに見えます。いつも同じ仲間でつるみ、いつも酒浸り、銃を弄び銃口をふざけてひとに向ける、そんな貧乏白人である彼らの未来が暗いだろうことが透けて見えます。本作制作から44年がたった今、ラストベルトと言われる街に住む移民3世たちの現在はどうなのでしょうか。彼らが自分の父母の世代の青春群像劇である本作を観て、なんと言うのでしょうか。「ロシア民謡でみんなで飲んで踊って、牧歌的でいい時代だったね」と言うのでしょうか。
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