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私の20世紀のkuuのレビュー・感想・評価

私の20世紀(1989年製作の映画)
3.7
『私の20世紀』
原題Az en XX. szazadom.
英題In My Twentieth Century.
映倫区分R15+.
製作年1989年。日本初公開1990年。
上映時間102分。

ハンガリーの鬼才イルディコー・エニェディ監督が1989年に手がけた長編デビュー作。
激動の20世紀の幕開けを背景に、生き別れた双子の数奇な運命を美しいモノクロ映像で描くハンガリー・西ドイツ合作。
オレーグ・ヤンコフスキーが謎の男Z、ポーランド出身の女優ドロタ・セグダが主人公の双子とその母の3役を演じる。

1880年、エジソンが発明した電球のお披露目に世界が沸き立つ中、ハンガリー・ブダペストに双子の姉妹が誕生する。
リリ、ドーラと名付けられた双子は、孤児となり幼くして生き別れちゃう。
1900年の大みそか、気弱な革命家となったリリと華麗な詐欺師となったドーラは、偶然にもオリエント急行に乗り合わせる。
ブダペストで降りた双子は謎の男Zと出会うが、Zは双子を同一人物と思い込んで2人に恋をしてしまう。。。

今作品は、電気的に動き始める。
電気ダンスの衣装、
マーチングバンド、
鏡張りのホール等々。
ドラマチックで美しい演出で、エジソン役の悲しい顔をした俳優さんが、終盤で
『神がその創造を素晴らしくしたように、人間はそれを利用する方法を学ぶことで素晴らしくなる』(うろ覚えですがこんな感じでした🙇‍♂️)
なんて抑揚をつけて話す。

一方、双子の孤児の少女は、アンデルセンの物語に出てくるマッチ売りの少女みたいに、雪の夜に火のついたマッチが自分たちを暖めてくれることを願いながら眠りにつく。
星と奇跡のロバに導かれ、恰幅のいい男たちが二人を安全な場所まで運ぶが、羅針盤と命の方向は別々である。その後、貧しいアナーキストとなった一人が、
ピョートル・クロポトキンの『相互扶助論(相互扶助 進化の原因)』を雪の中に落としちゃい、それを見つけた男が、そのメッセージである動物同士の協力と遊び(当時流行していた資本主義の
『社会ダーウィニズム理論』、
すなわち
『適者生存』と『red in tooth and claw』(進化論における弱肉強食の概念を表現。自然てねはその牙や爪が弱者の血で染められた強者を選ぶということ。今ではこのフレーズは《Nature》のことをさしてます)
とは大きく異なるのを読む。
若い女性の一人と出会い、誰も双子の存在を知らないまま物語に絡んでくる。  
クロポトキンの観察は、革命家が持ち込んだものでありながら、技術的に近代化された世界に対する遊び心のある対極にある物語であるように思えた。彼の言葉が物語として使われているのは、引き返すというよりも、腕を組んで行くような展開に見えたかな。
彼の観察した
『遊びに酔った』ウサギたちには
『キツネに対する恐怖心』が欠けており、男と若い女性が楽しげに逢瀬を重ね、交互に攻め合うシーンが並置されてた。
アナーキストは男の無愛想な態度(彼は彼女をもっと性欲の強い妹と間違えて当然だ)に気後れしてたようやけど、結果的にその情事は近代的で純真なものに見えた。
フランス中尉の女の運命も緋文字もない。
エジソンが電信で世界中にメッセージを送る準備をしている間、若い女子とその男は団結し(曖昧やけど)、同じくメッセージを運ぶ白いハトが飛ぶシーンで目を覚ます。
エジソンは自分のメッセージを送る前に、その一羽と対峙する。。。
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