肇

リトアニアへの旅の追憶の肇のレビュー・感想・評価

リトアニアへの旅の追憶(1972年製作の映画)
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記憶というものを映像で表したらこんなふうになると思う。緩やかに繋がった、しかしまとまりのない断片的なイメージが、自由なリズムでいくつもいくつも閃いてゆく。目線の先も定まらない。情景は細切れにされ、見ていて目が疲れるほどぶれる。家族を写した矢先にゆれる庭の花々のほうに目がいくし、音楽も唐突に流れ出して唐突に止まる。でも我々はふだん生きていて、見たいものだけを見るのではないし、覚えていたいことだけを覚えているわけでもない。叔父の言葉に従って、生まれ育ったリトアニアの地を捨て西へ西へと進んだ監督の、ごく私的な思い出の地を辿る旅を作品にするとしたら、これ以上の形式はないだろうと思う。
映されている対象は、監督の記憶の中の姿と比べて年老いているだろう家族、友人、学友たち。かつてそこに立っていただろう若い彼らを自然と想像するだけの余白がある。その余白や、夢のように色を変える、半ばホームビデオのような画面の中に、鑑賞者が自らの体験を投影することは難しくなく、するとそこで二重の追憶を見ることになる。とはいえ作品単体での強度も十分にある。音楽やモノローグ、閑話などでなだらかながら緩急はついているし、詩人でもある監督の紡ぐ言葉によって丹念に縁取られて、再び降り立ったかつての旅路から監督が感じたであろう美しさがいっぱいに表されていた。
肇