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リトアニアへの旅の追憶のSEULLECINEMAのレビュー・感想・評価

リトアニアへの旅の追憶(1972年製作の映画)
5.0
涙の止めようがないほどに、本当に美しいフィルムだった。

このフィルムは、三部に分けて構成されている。

第一部では、主に不特定の群衆や人間を捉えたショットの数々が、まるで時間と空間を切断するかのように"バシッバシッ”とカットされる。アンバランスで不均衡な被写体との距離が却って被写体たる人間の運動や肉体の生々しさを強調し、ニューヨークとリトアニアを横断するかたちで語られる記憶がより一層「現在地」としてのニューヨークを際立たせる。

出色なのは第二部だ。
「百の瞬き」と題された第二部は、標題のとおり100個の小さなシークェンスから成り立っている。そしてキャメラは、まるで瞬きをしているかのように現実の一瞬一瞬を刻み取り、記録している。ジガ・ヴェルトフが『キャメラを持った男』においてキャメラのシャッターと瞳の瞬きの対比を行ったけれど、むしろこのフィルムにおいてはキャメラが人間の瞬きを凌駕するかのように現実をありのままに刻み続ける。
ジョナス・メカスの構えた手持ちキャメラは、時には大きく揺れ、時にはぐるぐると回転する。そのことは、メカスから作家という特権性を剥ぎ取って彼を1人の体験者たらしめるだけではなく、我々をも観客という特権的な立場に安住させない。
第二部において最も特徴的なのは、ジャンプカットと早回しの多用である。コマ単位まで細かく刻み込まれたフィルム断片の数々が繋ぎ合わされ、ひとつのフィルムとして運動するとき、それはまるでジョナス・メカスの記憶を再生しているかのような煌めきと郷愁をもって観客に迫り続ける。"バツッバツッ”と運動が切断され、サブリミナル効果のように何かが挿入され、"バシッバシッ”と時間・空間が移動するとき、我々は自身の記憶の断片性と、それを記録してこの場にとどめ続けたいという欲望を自覚するのである。

しかし我々が真に注目すべきは、そこで捉えられたショットの数々のもつ異常なまでの輝きである。井戸から汲み上げられた水の官能的なまでの透明さ、鍋に焚べられた火の生命を持っているかのような佇まい、風に揺れる木苺のささやかな休息のような静謐さ、草を刈り取る親戚の悲しくなるほどの楽天さ、そして何より、何度も繰り返して捉えられる母親のアップショット。
私は、メカスが捉えた母親のショット以上に愛を感じるショットを見たことがない。このフィルムで捉えられた母親のショットの数々は、愛情を表現しようとして捉えられたショットではない。むしろその逆である。ありきたりの、当たり前のショットから、抑えきれないほどの愛が溢れ出して"しまっている”のである。私はこのショットの数々を観て、嗚咽を堪えながら涙を流し続けるほかなかった。
そして圧倒的なまでの煌めきをもったこれらのショットの数々は、メカスがまるで大切な記憶を宝箱にしまうかのように、ひとつひとつ丁寧にこのフィルムに並べられている。映画はときに現実以上の力をもって我々に迫ってくると語られることがあるが、まさにこのフィルムの第二部こそ、映画にしか成し得ない、現実をも凌駕した力を持っていると感じる。

第三部では、場所がウィーンへと移る。ここにおいても早回しとジャンプカットが多用され、まるでメカスの記憶を観ているかのような感覚になる。ここで捉えられたウィーンの街や建物、景観の数々は、まるで自身が観られていることを知らないかのように温かく聳え立っている。無機物たる建物や街に人間的な何かを見出してしまうのは、メカスがキャメラを持ちながら抱えた愛情がフィルムの表面から溢れ出ているからに他ならない。
そしてこのフィルムは、業火に包まれるウィーンの果物市場を捉えたラスト・ショットによって締めくくられる。ここで捉えられた "壊すための火” を第二部で捉えられた "生きるための火” と対比させるとき、我々は火という現象がまるで生命と意思を持った動物であるかのように錯覚してしまう。

以上のような構成と内容をもつこのフィルムは、ジョナス・メカスが自身の眼の代役としてキャメラを用いたことによって、彼自身の人生における大切な瞬間を記録し尽くしている。
そして何よりこのフィルムが、シネマトグラフ的な意味においての "映画”—語の全き意味においてのcinéma— というひとつのイデオロギーめいた芸術形式と融合するとき、それはメカスの個人的な記憶の再生にとどまらず、文献や歴史学では捉えようのない "真の意味での歴史” が立ち現れるのである。
つまり、このフィルムは、ジョナス・メカスという天才が「個人映画」という自己矛盾を抱えた芸術形式を完璧なまでに昇華させ、成功させた、映画史と個人史の輝きから生み出された結晶のような傑作なのである。
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