必ず終わる、人工的にも終わらせられてしまう。
そのことの表象である、火事。
終わろうが何だろうが、スチュワーデスの脚を見てしまう。
友人への言葉が全部良い。
子供の純粋さへの陶酔の視点に溺れ続…
物語ではなく、記憶。牧歌的な親族の笑顔とは対照的な歴史的背景。フィルムの一コマ一コマに論理的な繋がりはなくともそれが積み重なることで生まれる何かがある。こういうのが見たくて映画館に行くんだよっていう…
>>続きを読む追憶するメカスを想像する。断片的で淡い映像と劇中鳴っている音楽によってより感傷的になる。メカスの家族が見ている自分の家族の像と重なる。井戸で汲んだ水がどんなワインよりも美味しいってとことリトアニアを…
>>続きを読むかつては広大な領土を支配していたリトアニア
西へ行け
そしてたくさんの事を学べ
でもついに西へは辿り着けなかった
アルカディアに集まる難民
そこからホームにたどりく旅がはじまる
時の絆から解き…
先日観た「眩暈」の後、ジョナス・メカス作品がどうしても観たくなり、現在上映中の今作を観ることが出来ました。
1972年の作品で、アメリカに亡命してからの映像と27年ぶりに祖国リトアニアを訪れた時…
記憶というものを映像で表したらこんなふうになると思う。緩やかに繋がった、しかしまとまりのない断片的なイメージが、自由なリズムでいくつもいくつも閃いてゆく。目線の先も定まらない。情景は細切れにされ、見…
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