小津監督が秋刀魚をどう撮るんだと気になって鑑賞したが、一切秋刀魚は登場せず笑
ではなぜ「秋刀魚の味」とつけたか?
これは成長と娘の成長を重ねているのではなかろうか。
多くの典型的な女性(秋刀魚)は春、夏と人生を歩み、秋ごろにようやく旬となった時期に嫁に行ってしまう。しかし、旬の時期を逃した女性(秋刀魚)の人生はそれはそれで物悲しいものがある。
さらに秋刀魚に「味」とタイトルがつくことで、秋刀魚が持つ芳醇の甘みと肝の苦味に人生を例えているのかもしれない。
秋刀魚の持つ甘みと苦味のような演出は作中至る所でみられる。
例えば、娘が嫁に行った晩、笠智衆は妻に似た人がいるBARに行くが、かえって寂しさが増すだけだった。
1人部屋に佇むと、いつもテキパキ家の仕事をしていた娘の不在だけが際立つ。
娘の幸せを思って、嫁に出したが、少しの後悔が滲む笠智衆。それは娘を嫁に出さなかった東野英治郎の孤独と大差ない。
甘さと苦味の共存が美しい。
東野が鱧を食べるシーンがあるが、鱧にはこんなことわざがある。
「鱧も一期。海老も一期」
これは、人の境遇はさまざまであっても、結局は同じような一生を送るという意味で、この映画のテーマに他ならない。
鱧をこれ見よがしに劇中に出しておいて、そこに意味がないはずもなく、調べたらやはり意味がある。
恐らく自分レベルでは気づいていない画面のギミックが他にもたくさんあるんだろう。
小津安二郎監督の遺作にして傑作。
「葬式ですか?」