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秋刀魚の味のrensaurusのレビュー・感想・評価

秋刀魚の味(1962年製作の映画)
4.3
画で魅せることが抜群に上手く、ローポジションで動かないカメラ、小綺麗なセット、真正面のバストアップ、独特なテンポやリフレインによる会話、散りばめられるユーモアなど、当時の映画に疎いため監督の作風なのか潮流なのかは掴めないが、クセになる上質な作品だった。

序盤からセクハラじみた会話に「時代錯誤」の四文字がよぎるが、セットや小道具なども相まって当時の価値観や生活を色濃くリアルに感じ、どこか懐かしさも感じて楽しかった。瓢箪との宴会シーンは「ザ・日本の宴会」という空気感が馥郁と香っており、見惚れてしまった。何より終盤の、娘が嫁いだ喪失感と、敗戦の哀愁、そして最後は誰もが孤独に死んでいくという湿った寂しさが漂うカットの連続にも並々ならぬ日本らしさを感じた。これを『秋刀魚の味』と表現する渋さたるや。

作品通して感じるのは、日本人らしさに内包される、本音を押し殺すことを奥ゆかしいとする美徳を感じて、つい建前で過ごしてしまうことの残酷さである。例えば路子さんは、父や兄弟のためにと家事に忙しく、本音を押し殺して尽くしているが、本当は三浦さんと結婚したいという想いが少しなりともあったはずである。いざ縁談が遅かったことを知り、「後悔したく無かっただけだからいいの」と気丈に振る舞うが、それを聞いた父兄が「そんなに傷付いてなくて良かった」と全く分かり合えておらず、家族なのに建前で会話する冷ややかさを観て身につまされる。

海兵だった父親も、アメリカには勝てないと薄々気が付いていたはずである。「日本が勝ってたらどうなってましたかね」という無邪気な元部下に、「負けて良かったよ」といなす回答にも、本音を隠して国に尽くしたことへのやるせなさを感じる。

それでも父が、娘を想う気持ちは本物で、少し身勝手にも思える縁談が進んで嫁がせていく過程には、そこはかとない愛情が見える。路子さんも、ずっと家にいるより嫁いだ方が後悔がないようである。

小津監督が評価される理由がずっしり理解できる、味のある邦画でした。
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