オーウェン

ナッシュビルのオーウェンのレビュー・感想・評価

ナッシュビル(1975年製作の映画)
5.0
この映画「ナッシュビル」は、社会と人間を凝視したロバート・アルトマン監督の群像劇の秀作だと思います。

1975年の第48回アカデミー賞の作品賞は、精神病院を舞台に権力対個人、管理者対非管理者の問題を提起しながら、人間の自由や尊厳とは何かを描いた「カッコーの巣の上で」(ミロス・フォアマン監督)、文豪サッカレーの原作をもとに、18世紀のヨーロッパの貴族社会を流麗な映像美で再現した「バリー・リンドン」(スタンリー・キューブリック監督)、銀行強盗がマスコミによって、一躍ヒーローと化す矛盾を描いた「狼たちの午後」(シドニー・ルメット監督)、巨大な人食い鮫と人間たちの壮絶な闘いを、スリル満点に描いた「JAWS/ジョーズ」(スティーヴン・スピルバーグ監督)と並んで、大統領選挙とカントリー&ウエスタンの祭典を巧みに絡ませた群像劇の「ナッシュビル」(ロバート・アルトマン監督)という史上稀にみる秀作が候補となった大激戦の年でした。

結果はご承知の通り、「カッコーの巣の上で」が大激戦を制して受賞しましたが、これらの候補作からもわかるように、当時のアメリカ映画界がアメリカ社会の実態を内面まで鋭くえぐり出し、その将来を占うという意味での深い洞察力を秘めた、質の高い映画が主流になっていたという事を示しています。

この映画「ナッシュビル」は第48回アカデミー賞の最優秀歌曲賞を”アイム・イージー”が受賞し、1975年度のニューヨーク映画批評家協会賞の最優秀作品賞、最優秀監督賞(ロバート・アルトマン監督)、最優秀助演女優賞(リリー・トムリン)を受賞しています。
これらの結果から、この映画が当時、映画批評家から大絶賛を受けていた事がよくわかります。

映画の最初のほうで、カントリー&ウエスタンの人気歌手のヘイヴン・ハミルトンが、アメリカ建国200年記念のレコードを吹き込むシーンが出て来る事からもわかるように、この映画はアメリカ建国200年を意識してシニカルな視点で製作された映画だと思います。
                                 カントリー&ウエスタンのメッカと言われる、テネシー州の州都のナッシュビルでの大統領選挙キャンペーン・コンサートまでの5日間における、24人の歌手たちの動きを、カメラは記録映画のようなドキュメンタリータッチで何の脈絡もなく追って行き、そのまるで万華鏡的な展開で、群像劇の名手であるロバート・アルトマン監督は、スター歌手になる事への憧れ、情事、政治意識等を混在させながら、人気絶頂の男女の歌手への狙撃事件というクライマックスへ収斂させていきます。

そして、この映画での演出上の狂言廻しとなっているのが、イギリスのBBCの女性アナウンサー(ジェラルデイン・チャップリン)であり、スピーカーのボリュームをいっぱいに上げて走り回る大統領選の選挙キャンペーンカーであるといえます。
憎いほどにうまいロバート・アルトマン監督の腕前が冴えています。

キャンペーンカーの選挙のスローガンは、”巨大石油会社への挑戦、農業補助金の削減、教会への課税、議会からの弁護士出身者の追放、大統領選挙団体の廃止”等と、当時の社会状況をうかがわせる興味深い内容になっています。

この映画の主題歌である”アイム・イージー”は、アカデミー賞の最優秀歌曲賞を受賞していて、作詞・作曲が女ぐせの悪いトムを演じているキース・キャラダインで、”君は自分で言うほど自由じゃない。けれど僕は気ままなんだ”というこの曲も、ちろん心に沁みるいい曲ですが、それ以上に素晴らしいのは、歌にイカれて亭主を捨てた若妻(バーバラ・ハリス)が映画の最後の混乱の中で、コーラスをリードして堂々と熱唱する”私は平気、気にしないで”は、実に意味深い歌詞になっています。
”そんなこと私には平気よ、私が自由でないとあなたは言うかもしれないけど、そんなこと私には平気よ”

この曲をもってきたロバート・アルトマン監督の意図は、アメリカという国への愛情を込めたメッセージであり、当時のホワイトハウスでのウォーターゲート疑惑等で混迷していた社会状況の中でも、自由に対する自信をもつようにしよう”と訴えかけて来ているように思えてきます。

この「ナッシュビル」という映画を観終えて、あらためてロバート・アルトマン監督は、24人の主要な登場人物ひとりひとりの性格やその人間ドラマを描きわけ、尚且つ混沌としたまま我々観る者に投げかけ、1975年当時の悩めるアメリカの縮図を描こうとしているようです。

今までの映画の常識を覆した、奇抜で破天荒だが、奥行きの深い、社会と人間を凝視した群像劇の秀作だと思います。
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