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カメレオンマンのmasatのネタバレレビュー・内容・結末

カメレオンマン(1983年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

これはウッディ・アレンらしくない、壮大な物語かもしれない。

人間が持って生まれ、一生涯払拭出来ない“不安”という感情。人類の不安を一身に背負い、あらゆる“変身”を繰り返し、全世界に問う男・・・あなたは“安心”ですか?

そして、様々な人種(及び体型)を通過し、辿り着いた“安住の場所”とは、何処だったのか?

誰でも日向の温かい空間を見つけたい、そして“平穏”な日々を過ごしたい。
しかし、そうは簡単にいかないし、一生訪れないかもしれない。そうと解っていながら、そこへと向かって、外的に、内的に旅をし続けるのが、人間だとすると、この映画は、そんな根源的な人間の欲望と飽くなき努力を繰り返す壮大なアドベンチャー映画だろう。

そんな壮大さを、壮大な“ホラ話でやんす”と、軽々と、持ち前のシニカルさで、スラスラと描くのがウッディ・アレンの天才的資質だろう。
そして、何という“いい加減さ”だろう。
しかも、見た目は、生真面目な顔して、真面目に描くドキュメンタリーの体裁だから、不思議でリアルな感覚に徐々に包まれ、インチキをインチキと受け取れず、すべて煙に巻かれながら、その世界を信じてしまう。

なぜなら、時として、ゾッとする瞬間があるからだ。その瞬間に人はよりスクリーンへと引き込まれる。
「憂鬱だ」と、虚空を見つめる瞳。死んだような診療。生体実験のような治療、それを覗き込み、笑う大衆の、全世界の眼。
不安、倦怠、絶望・・・彼にとってこの世界は恐怖の連続である。
観る者は彼の感じる恐怖の瞬間を感じ、あり得ない変身をしてしまう彼に共感をしてしまう。それもこれも、“恐怖”がはっきりと映し出されているからだ。

そんな主人公は、ついに、ユダヤ人ともあろうにドイツ人に化けた!
そして、かの総統閣下の大演説をその足元で妨害してしまう事になる。

何故、妨害するに至ったか?
その時!彼は目の前に何を見たのか!?

大観衆の中で手を振る女。
記録映像のようなモノクロームの中、必死に手を振る女だ。
激怒する総統閣下、混乱する大観衆など関係ない、その瞬間、ドイツ男に化けたユダヤ・カメレオンは“陽だまり”に再会した!自分を待っていてくれたであろう“穏やかで大きなもの”へ、ついに気付き、(冒険の果てに)辿り着いたのだ。
そんなクライマックスは、またしても、狐につままれたようだが、感動させられてしまう。

インチキ奇術師の魔法的魔力、渾身の一作。
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