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けだもの組合のニューランドのレビュー・感想・評価

けだもの組合(1930年製作の映画)
3.9
✔️🔸『けだもの組合』(3.9) 及び🔸『御冗談でショ』(4.0)▶️▶️

 我々の世代だと、三大喜劇王というと、キートン・チャップリンの次に当然の如くマルクス兄弟となる。が、それは活字での喧伝の影響が大きく、中原弓彦さんの、旅行記や翻訳(後書も)本らで想像逞しくしたのだった。実際´70年代に観られた作は、16ミリ版での、代表作『~カモ~』(Par)や、MGM時代になってからの『~二丁拳銃』他の限られた数でしかなかった。しかし、前者は鈍感な私でも映画史上の最高傑作に位置する一本と判ったし、後者も圧巻終盤に傑作!と叫ばざるを得なかった。しかし、劇場での纏めてのリバイバルは´80年代後半の凡庸な『オペラは~』から始まる出直し期の数作迄なかったし、映画進出かつ代表作期群は、レーザーのボックス?ものが'90年代になってやっと出た(少し遅れてDVDでもか)。常にこの兄弟の話題は伝説が先行してた気がする。只この間、'80年代前半の始まったばかりのレンタルビデオ屋には、『けだもの~』があり、さっそく借りた。只、'70年代に観た作の圧倒インパクトに比べると、正体の掴みづらいヌエのような感触で、熱が少し冷めた記憶がある。
 マルクス兄弟を日本に広めた張本人・小林信彦関連の今回の特集では、中心的位置で10本くらいは並んでる。ま、その中から2本を観ることに、最終日になって思い立つ。舞台のヒット作をその侭持ってきたのと、映画オリジナル脚本になってからの2本目で、後者はカッティングや異物導入による、目の覚めるようなメリハリをつけてる(元からか劣化欠落か、カット間が飛んでるラフなカット繋ぎも)が、前者には、映画的分割対照よりも、区線を付けない中から醸し出す、それ自体の存在するのかもはっきりしない手応え、カットやカメラ移動があるないに係わらず、生々しい飾って置けないこっちに無意識にも向かい来るような、怖さがある。不定形なばかりか、会話の途中で、知らない相手に身分や名前を特定されその下賎さの公表に怯える、自分を自分で確定できない、招かれて来たのに直ぐ帰ると伝える性、根拠もないので特典付けての引き留めにコロコロ変わる。しかし、全てに拘りなく、只、淀みないだけの意味の通ってない髙スピードのやり取りと価値観変転限り無しでぐんぐん都度の変化を見せてく。変わらないのは何を差し置いても、若い女を追い回す性欲の発現・猛然行動だけ。しかも、相手構わず、また祓われても飽きず繰返しの、腿上げ引っ掛け寄っ掛かりの、ワケわからぬ癖ある行動が蔓延し、その癖同士は応え続ける身体までの絡みにあっという間の呆気の発展へ。
 社交界の盟主的な未亡人の館に、主賓のアフリカ探検家(グルーチョ)、付随した教授ら(ハーポやチコ)の到着、彼らMarx兄弟の個人話術や体技、相互や一般感覚人との絡みや一転名人演奏が、傍若無人に埋められてく。もう一つの柱は、この場に相応しい、貴重な名画を画商が提供・飾ったのが、贋作入れ替りやサイン書き直されから紛失の、逐次状況変化ミステリーだが、対抗貴婦人の泡ふかせ工作や売れない画家のデモらが互いに知らず縺れてるのの上に、Marx 兄弟が依頼され実行犯・名画を掛け布団に・関係者をオチョクリ倒す、らで別次元に。
 しっかり角度やサイズ変、侭フォロー移動、場面繋ぎらあるも、カット間操作・磨きはなく、カメラ近くまでフォロー超えて来る、傍若無人も威容の喋りや動作の極る・いや区切りない、カット内捉えの言い知れぬ足が地につきようのない、なまめかし恐るべき感、絶えずが真骨頂に向かってる。突然、誰構わず狙い発砲、相手には彫刻像もいてポーズ解いて打ち返してくるとか、犬のマウンティング宜しく敵味方関係なく上げた腿を引っ掛け止めない限度なく、等のハーポ等誰が真似られようか。
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 オリジナル脚本の、次々作『御冗談~』は、本質保ちながらも、誰もがインパクトをストレートに受け入れ、異常なりに喜びに疑いを挟まずに済む作品、快作となってる。事象が存在の根拠を自ら疑うといったことはなく、外因によってドラマやアクションが気違い沙汰ながら、疑い少なく突き進んでく。切返しやサイズ変のけたたましい軋轢的カットの組み立て段差や、装置のオフの奥からの目まぐるしい人の入れ替わり、図を切り替えての扉内外の意識と行動の意図的ズレ、動物や路上リアル感入れ、会場に向かう遅れやスコアで試合のピンチに、反則的小型馬車のが元よりの舞台を突き破って分け入る、等が存在の不確かさを考えさせず、対する一方が相手の威光を前提にまず響いてくる。
 まず、展開の契機・目的が、まがりなりにも、反撥しあい、方向が定まる。大学の新学長(グルーチョ)の、前任をこき下ろし、前向き抱負などないのに、女にかまけ留年重ねる学生の息子(ゼッポ)を問いただし、アメフトの勝利なしへの悔いこそが留まらすと言われると同調し、有名校との対抗戦に、有名選手トレード獲得にのり出す。自ら訪ね歩くも当然失敗し、間違えてチコをスカウトとか、相手大もサインを盗み出すのに、女を使ってくる。敵のスパイでもあった息子の恋人には様々愛人目的他の者らが牽制しつつ出入りが行き違うが、なぜか氷塊りが繰返し持ち込まれる。ナンセンスばかりで大して勢力図変わらず、圧倒不利で試合が始まると、始まりに間に合わずをとり返す以上に、学生外に、何かルール内で入り込めるのか、学長を始めMarx 三兄弟普通に参入、ハーポの姑息子ども騙しトリックが当面功を奏してく、そして最後には小型馬車持込み割り込み馬力絡みでトライを決める。
 Marx 兄弟の屁理屈堂々、絡みのやり取り、動物的獰猛さ、バレエ的軽みの極めポーズ、楽器演奏パート、混乱中心喪失らは変わらずも、粋のよさ・呼応重視・キビキビ映画リズム嵌まりで、随分打てば応える快感度や映画自浄力が増し、一般人気に一気近づいてる。ゼッポも自己存在をしっかり高め実現してる(その分一つ引き上げると、まともへも)。カット間・カット内でも、まがりなりにも張り合い・極めてくポイント群が、観客には、連なりを呼吸し、バランス・リズム・インパクトを覚えて行くのかも知れない。強烈作であり、快作である。本当の意味での魅惑は『けだもの~』に潜んでる気もするが。
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