stanleyk2001

麦秋のstanleyk2001のレビュー・感想・評価

麦秋(1951年製作の映画)
4.5
『麦秋』デジタル修復版
EARLY SUMMER
1951(昭和26年)

伯父(高堂国典)「今日の芝居は良かった。若いもんが頑張っておった」
「お前も大和に来んか。若いもんの邪魔をしてはいかん」

父(菅井一郎)「こいつは今でも『尋ね人の時間』を聞いておるんですよ。あいつはもう帰ってきますまい」

『尋ね人の時間』はNHKラジオで戦後放送されていた番組。行方不明のひとの消息を知らせるために情報を周知する放送。

兄(笠智衆)「最近は子供が増えたな。今日もうちに大層集まっていられたもんじゃない」

昭和26年に子供がたくさんいるのはベビーブームが始まっていたから。

母(東山千栄子)「1人で勝手に決めて。自分1人で大きくなったような気で」

母(東山千栄子)が親兄弟にも相談もなく結婚を決めた娘(原節子)を非難する台詞。戦前の中流家庭の場合、見合い結婚、紹介者を通した結婚が標準で自由恋愛は好ましくないとされていた。母は娘を非難する。しかし直接は言わない。

日本国憲法第24条「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」

この新憲法が公布されているから母は表立って娘の選択を非難することはできない世の中になった。

両親、兄夫婦、その子供たち、紀子の七人で暮らしていた間宮家は両親が出身地の大和に移り紀子が結婚相手の赴任先秋田に移ることでバラバラになる。

若者が夫婦になり子供を作り、子供が大人になり夫婦になる。親は老人になり若い大人に譲って引退生活を送る。

そういうものですよ。「よくあることよ」(原節子)と小津安二郎は私たちの前に示す。世代交代して人間の暮らしが続けられていく。だが同じことの繰り返しではなく変化しながら繰り返していく。『麦秋』で描かれる変化は「緩やかな家父長制の解体」だ。

小津安二郎の映画は「昔は良かった」と懐かしむで映画ではない。「戦争が終わってバカが威張らなくなった」(『秋刀魚の味』)世の中の方がマシだと描いている。

笠智衆の父親と喧嘩した子供達は家を飛び出して海岸を歩く。遊歩道にコンクリートの柱だけが並んでいる。柱と柱の間にあった鉄の棒がない。戦争中に供出されたからだ。鎌倉はアメリカ軍の空襲を受けなかったがここにも戦争のあとがある。

紀子の父が買い物に出る。踏切で遮断機が降りるが警報はならない。「使用中止 CAUTION AUTOMATIC ALARM IS OUT OF ORDER」という看板が立ててある。英語表記してあるのは進駐軍の為。ここにも時代が現れている。

賑やかで幸せそうに見える間宮家の真ん中には戦死した次男という欠落が隠れてる。

紀子は次男の親友と結婚を決める。それは戦死した次兄の思い出と共に生きるということだろう。

そして「戦死した次男」は中国戦線に徴兵され28歳の若さで病死した小津安二郎の同僚・山中貞雄だろう。紀子の年齢も山中が死んだ28歳だ。

「山中、いま日本はこんな風になっているよ。お前に見せてやりたかったよ」と小津安二郎は思っていたのかな。

原節子が戦死した兄の親友(二本柳寛)の母親(杉村春子)から
「怒らないでくださいよ。あなたがウチに来てくれたらうちの息子と結婚してくれたらなんて思うんですよ」と言われて「私なんかで良かったら」と受入れる場面では何故か涙が溢れてきた。

二人が愛を育む場面はない。唐突な結婚の申し出と唐突な受諾。なのになぜだか涙が止まらない。

それは紀子が「兄の親友」を「生涯の伴侶」として発見した瞬間だったからだろう。紀子の人生が大きく変わった瞬間に立ち会った感動なのかもしれない。

追記
・映画は「埴生の宿」が流れて始まり「埴生の宿」が流れで終わる。思わず『ビルマの竪琴』を思い出すけど、ここはイングランド民謡の原題「Home sweef home」なんだろうなと思った。「我が家ほど良いものはない」という歌詞らしいし。
・淡島千景さんが溌剌として可愛らしい。
・原節子さんはほとんどの場面で口角が上がっていてニコニコしている。しかし結婚を報告した後一人台所でお茶漬けを食べる場面では笑顔がない。大きな決断をした後の不安や孤独が伝わった。
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