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めがねの3110133のレビュー・感想・評価

めがね(2007年製作の映画)
1.0
「排他性や同質性を含む共同体」の気持ち悪さ、幼稚で邪悪な魂の所業

むかしに見て、なんとなーくの雰囲気は嫌いじゃないけど、なんだかすごくイライラした記憶があった。最近知り合いの作家の相談に乗っていて話にでたのでひとまず見直してみようと。
イライラした理由がよくわかった。

もしコミュニティが「相互行為や協働の積み重ね」によって形成されるものとして理解できるならば、わたしたちには共有できるもの・領域があるにしろ、前提として相容れない・理解できない他者であるはず。
このえーがででてくるムラは、わたしたちの価値観がわからない人には居心地が悪くても仕方ないという独善的で閉鎖的で排他的なコミュニティであり、一見そういった他者を緩やかに許し受け入れているかに見えて、その実、かならずわかるはず、なぜなら私たちの価値観は良いのだからという傲慢さと同化することを強要する立ち振る舞いがとにかく気持ち悪い。
もう登場人物のありようが全員すべて例外なく気持ち悪い。
中盤に小林聡美演じる旅行者が路頭に迷う過程など、カルトがやる洗脳のイニシエーションにしか思えない。加瀬亮演じる先生と呼ぶ彼ははじめから内側の人間、カルトの手先じゃん。

もしこのえーがのテーマが資本主義への批判性をもとにしたものであるならば、反資本主義的なコミュニティのあり方をキリキリと考え、その限界や問題点を自覚しつつ、現実可能性や困難な中にある希望を丁寧に描く必要があるだろう。
これはそういったあるべき手続きも責任も無視した、たんなるごっこでしかない。
お店屋さんごっこ、コミュニティごっこ、えーがごっこ、作品ごっこ。
最後の体操とか社会主義のヤバさまんまじゃん。気持ち悪い。

仮に反資本主義コミュニティのイデオロギー映像だとしても程度が低すぎる。
静かなシーンや、ことの起きない長回しをすればいい感じになるとでも?なぜ、静かなシーンがあるのか、長回しが必要なのか理解してるのだろうか。俳優が大声出してがなったり、泣き叫べば感情表現の演技ができてると思っているのと同質。

さまざまなものが道具化してしまう資本主義のあり方に疑問もあるからこそ、コミュニティに希望を感じるからこそ、そして映画や作品というものを愛するからこそ、このえーがは心底嫌悪する。

タイトルの「めがね」、登場人物全員がめがねをかけ、小林聡美のメガネがラスト意味深に取り扱われることから、それ相応のメタファーであるのだろうと色々と考えてみたがよくわからず。調べてみると「題名に特別な意味はなく、タイトル決定後に登場人物には全員、『めがね』をかけさせることにした」とあり愕然・・・。ウィキ情報だしちゃんと出典もと調べなきゃなとは思いつつ、馬鹿らしいのでやめた。

なんでこんなもの作るんだろう。本気で作品を作る気なのなら思考が足らなすぎるし、この程度でいいと思っているのなら映画や作品というものを舐めすぎだし、割り切って文化産業をつくっているなら邪悪。
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