なんとも無責任な作品。
これ、賛辞です。
『映画』というものが誰のものであるか、
それを改めてかみ締めることができた。
この作品が善いものか、悪いものか、
それは、観る人それぞれ。
ただただ、観る人にテーマを訴えながらも
ご自由に解釈くださいと言わんばかりの放置プレイ。
人それぞれに思うことがある作品だと思います。
それは、やはりテーマの問題提起だけに留まらず
描写、脚本の流れ、役者の表情にいたるまでが
この『映画』というものにこだわっているんでしょう。
お話はよくあるお話なのですが、
この構成がよりおもしろくしている。
重要な一点へ向かう過去と
その重要な一点から派生する現在とが
断片的に盛り込まれていて
形で言うと砂時計の上下のお話が交錯するようになっています。
この過去と現在の交錯が、
よりテーマの不明瞭さ、この作品の無責任さを表している。
とても効果的な脚本だと歓心する。
役者さんたちは、
この脚本でどう考えてこの演技をしたのだろう。
もしかしたら、役者さん任せだったのかもしれない。
もう一度作りなおしたら、まったく別の印象を受けるかもしれない
そんな印象が拭い去れない演技でした。
娘と観たのですが、
なんでこうしたのかな?こうだからじゃない?
えー、こうだからだよ
って会話ができるってことは
子供にもいろいろと想像させられるようにできてるってことです。
ひとつひとつのシーンに
ひとりひとりの解釈ができて
エンドロールで自分なりの映画が完成する
そんな無責任な映画です。
でも、きっとこれが『映画』なんです。