雨のなかの男

さすらいの二人の雨のなかの男のレビュー・感想・評価

さすらいの二人(1974年製作の映画)
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DVDで観たよ。ミケランジェロ・アントニオーニ監督は『欲望』しか観たことがない。けれど、どことなくそのエッセンスを本作にも感じた。レンズ越しに覗き見る世界は何を映し出すのか、というテーマは『欲望』に通底している。本作は具体的な説明がないまま進行し、そこが何処でジャック・ニコルソンが何者なのかもじっくりゆっくりと描かれる。彼がどうやらジャーナリストであることがそのうちわかってくるが、それは過去に遡って出会った男との“客観的な”会話記録から回想されるのみで、本人の口からは語られない。今にして思えばこの時点で彼の存在やその証明がかなり危ういものである事が暗示されていたのかもしれない。見たいものを見るためにカメラを覗き見ることがいかに恣意的な行為であるかをこの映画は鋭く指摘する。とあるインタビューで、記者と話者が逆転し、急にカメラを向けられ困惑するニコルソン。カメラは恣意的に何かを映し出すことも出来れば、恣意的に何かを映し出そうとする対象をも映し出す。しかしこの映画においてクリティカルなのは、そのカメラの両義性ですら信憑性があるものなのかを問うてる点にある。最後の長回しの場面は、誰の視線をもって描かれたのか。そしてそのカメラの視線の先に映し出された彼は何者だったのか。そしてそもそもその視線は信頼に足るものだったのだろうか。『欲望』においてあの死体はどこに行ったのだろうとい疑問と不安をかき立てるミステリアスでいい映画だった。冒頭、砂漠を放浪するジャック・ニコルソンの姿に、自分もこの映画に対して行くあてのない不安を感じた。変な皮肉とかではなく、「何を見せられて何を見るんだろう」という不安。この感覚、以外と重要だったのかもしれない。
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