イワシ

偽大学生のイワシのレビュー・感想・評価

偽大学生(1960年製作の映画)
4.1
身分偽証の動機と経歴の肉付けによって実質主人公となるジェリー藤尾への拘禁描写の反復は原作で語り手だった若尾文子扮する女子学生の内的葛藤をやや後退させ『ショック集団』的狂気の結末へ導く(精神病棟の廊下を走り回るラストは動きが禁じられたフラーの映画よりもワン・ビン『収容病棟』のほうが相応しいか)。藤巻潤が尿瓶代わりのブリキ罐に床に落ちたパン屑をひょいひょい放り込む動きが最高。

大江健三郎「偽証の時」は若尾文子扮する女子学生の一人称小説だった。原作には「贋学生は執拗にドアを閉ざそうとする試みをくりかえすのだった。」という描写があり、『偽大学生』のジェリー藤尾を襲う拘禁描写の連続はまるでこの記述をもとに脚色していったかのよう。原作だと反復されるのは「執拗」という語であり、これに付随する物理的な閉塞感はやがて語り手の女子学生を偽証への誘惑へ誘う抽象的な記述となるが、大江健三郎は塗り込められたトイレの小窓と女子学生の手の瘡蓋を重ね、それを剥ぎ取る描写が隠蔽を拒絶する意思を示すが、『偽大学生』では若尾文子の手の傷はまったく見当たらないと説明される(少し訂正すると、瘡蓋を剥ぐ描写の後に隠蔽への加担の誘惑の描写が続くので、語り手の拒絶の意思はきっぱりとしたメロドラマ的なものではなかった)。
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