すえ

劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲のすえのレビュー・感想・評価

4.1
記録

久しぶりに鑑賞。劇場版ポケモンでは今作と『波導の勇者』、『ラティアスとラティオス』がお気に入り。

今作は、シリーズものの子供向けアニメの限界を見せてくれたと思っている。というかギリギリ子供向けに留まっているだけで、記念すべき劇場一作目からこの攻め具合は凄い。

コピーと本物、それは発展しすぎた科学への警鐘とも捉えられるし、その2つの存在が互いに傷つけ合う場面は、人間vs人間とも捉えられる。終盤の肉弾戦はまさに現実世界の戦争であり、なぜ同じ種族で争うのかというキャラクターたちの問いは私たちに向けられている。

白人、黒人、黄色人種、人間は単に見た目だけでも多種多様に分けられてしまう。それに加え、生まれや民族、宗教などによってより細分化されてしまう。ジャンル分けするということは一見分かりやすく便利だが、同時にとても恐ろしく、それにより生まれる少数派が我慢を強いられることもある。反対に、多数派は優越感に浸り、まるで自分が正しく少数派が全て間違っているというような思考停止状態に陥ってしまう。実際、そういう構造がまるで当たり前のように存在していて、我々はそのシステムに組み込まれて生きている。
しかし、そんな我々は単一の種族である人間なのだ。ヒト科ヒト属の“人間”なのである。それなのに“人間”は“人間”を傷つける、昔からずっとそうだ。
どうして『新世紀エヴァンゲリオン』で人類補完計画が描かれたのか、描かなければならなかったのか、改めて考えなければいけない。

ピカチュウがピカチュウを泣きながら打つシーンや、10万ボルトでサトシの目を覚まそうとするシーンはアニメ映画における名シーンのひとつだろう。これは大谷育江さんによる熱演の賜物、「ピカチュウ」というセリフにどこまで想いを乗せられるんだこの人は。

「なんだかんだと言われたら、なんだかなー。なんだか気の毒で気の毒で、自分で自分をいじめてる。昔の自分を見るようで、今の自分を見るようで、やな感じ〜。」
というロケット団のセリフ、痺れた。この映画を通して1番己を客観視できていたのは、ミュウツーでもサトシたちでもなく、紛れもないムサシ、コジロー、ニャースだった。
彼らを完全な悪だと思っていた少年時代はとっくに終わった。悪と正義を完全に二極化するのは不可能だ、もう自分なりの答えを探さなければいけないな。

トレーナーにボールをはじかれた! ひとのものをとったらどろぼう!

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