『数に溺れて』で寝そうになったのである程度覚悟はしていたが、本作も睡魔との戦いになった。途中、人のイビキの音を聞いたが、さもありなんと特に不快には感じなかった。
「もどき」が沢山出て来る映画だ。
画家もどき、貴族もどき、男として役に立たない男もどき、女もどき、彫像もどき。絵画のような映画、絵画もどき。ストーリーは殺人事件もどき(邦題良くない)。音楽はクラシック音楽風、マイケル・ナイマン。彼の音楽が唯一大衆的にわかりやすい。ポップだ。
画家もどき。
原題にもあるドラフトマン。鉛筆画を書き進めてて、ペインターじゃないんかーい、塗らんのかーい、てなった。絵は絵画を専攻してた監督自身の手によるものだそう。構図への固執の源泉はそこか。
貴族もどきのジェントリの一族。
ジェントリは爵位がないから厳密には貴族ではない。貴族に成り上がりたい地方の地主ども。
鼻持ちならない上流気取りの輩たちのディスリ合戦、マウント合戦。英国の歴史に関する知識がないこともあり、会話のやりとりや言い回しが難解でついていけない。眠い。異文化、外国語の会話劇はついていくのがしんどい。苦手だ。
唯一、ジェントリの若夫婦が口喧嘩するシーンだけは古今東西変わらない熱を感じられて面白かった。お国柄なのか、夫が天気に喩えて妻をディスり始めると、妻が断固として「それはやめて!」と言うのには笑ったが、お天気の話は聖域なのか。
彫像もどき。
人?道化?他のものに輪をかけて意味不明。そして最後の最後で更にひどい終わり方にアングリ。そんな乱暴な。意味不明な。
何か小馬鹿にされたような不愉快な余韻が長く尾を引いた。深読みする気にもなれない。目はすっかり覚めたが、もうピーター・グリーナウェイはいいかな、とトドメを刺されたような気分で家路についた。
#2024 #20