ニューランド

天使の欲望のニューランドのレビュー・感想・評価

天使の欲望(1979年製作の映画)
4.4
✔️『天使の欲望』(4.4p) 及び『札幌·横浜·名古屋·雄琴·博多 トルコ渡り鳥』(3.6p)『スクールウォーズ HERO』(4.3p)▶️▶️

識者に澤井は持ち上げられても、その横に関本の名が列べられる事はなかったと思う。良識と戦術の紳士·澤井に対し、下町職人が底光りを持ってくるような関本。澤井がなんぼのもんじゃいと、改めて今回関本の全貌の半分くらいを、観(直し)て、確信する輝き·艶·親しみ·正直さがあった。澤井より、かなりハイレベル·本能から映画を識っている。
『天使~』。40数年振りに見直したが、関本の映画史上に残る(トリュフォやロメール最高作と同クラス)三大傑作の1本の印象は変わらず(只、当時のベストテンでは、他2作の2位とは行かず、今平·ゴジの下位にしてる)も、当時見た物を上回るきれいなプリントで、当時山猫くらいにしか想わなかった妹の役が十分に姉に拮抗し、選ばれた少ない決定的カット達を強化してると改めて確認した。デクパージュの、ズーム集中度、廻り状況のフォローの押さえ移動、傾き揺らぐ活動的カメラのしつこいフィット、アップ顔の入れの角度と表情の確かさと·切返し他の対応立体精度、暗め絞って力ある照明や図、正確厳密を時に少し甘くなっても、ショットの力強さと想い塗り込めの研ぎ澄まされた名刀ぶりの稀さは、只、観るものを打ちのめしてゆく。
定期挟まる津軽へ帰郷時の浜辺相似形で座る姉妹の図、カモメと強い北の荒浪のパート挿入、といった定型化志向すら、鍛えられ何かに上昇し、全体を広げ確度を上げてゆく。今回特に面白かったのは、『にっぽん昆虫記』のトメの俳句にも似た、妹のつけてる日記の字の画面いっぱいの勘所敷き詰め中間色字幕?の挟まりおかしさだ。有名病院の看護師として優秀で冷たくも感じるが、幼少時より内から憧れの対象として·近しく本能的にも·誇りや励みとしてきた、場末堕胎医院の資格なし看護師の妹。共に郷里津軽の浪の力と魚の匂いを切り離せないが、貧しさ·要領の悪さ·母の男を変えてく生活の乱れ(今も帰郷しても、男と金を先に置き、母性愛の欠片どころか、反してて、姉に最後の肉親絆から離反の決意をさせて、自分の内にあった妹も、田舎丸出し·粗っぽいドジで気に障る、足手まとい·軽蔑排除の対象でしかなくなる)を、観念的にも生活からも外してかんとしてる姉。妻子に仕送り、漁師上がりと惹き付けもし、女らから貢がしてる、姉妹二人が共に、身体で関わるか·心も惹かれるかの、道路工事夫も、嘘の軽薄塊りで、2人を引き裂く要因となる。邪険にする姉に対し、変わらね慕いを持ち続ける妹だが、姉の上司の医師から、姉が誰とでも寝て、上昇志向の手段ともしてく、男の身体をきらす事の出来ない、汚れ乱れきった性と誠実さの正体を知ると、気持ち奥から繋がってた·医院の知恵遅れ息子の事故死も後押しして、姉の乱れを婦長に密告·解雇させ、更に思い詰め·一念となった、姉の刺殺達成へ向かう。あしらい軽蔑しながらも、突き放し切れてなかった姉は、自分の根との格闘に否応なく至る。
姉妹の両女優がいま観ると、見事にキャラの対照·表裏を、極限まで、かつ人間の本質を引き摺りながら、実現し、その細部と毅然とし過ぎて古典悲劇にまで到達した、演技と存在、所作と表情を、微細かつ強く表しきってる。それを導いた演出は、その目に捉えられる外形の敢然·メリハリ·完璧を実現してる。その恐れを知らぬ、一筆書き的な、一気完全筆致は、チャチャを入れさせぬ、削ぎに削ぎ、鍛えに鍛えた、唯一絶対に届く。
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『~トルコ渡り鳥』は、封切りから3.4年経って観たせいか、フリーで伸びやかなかルースな作風、それでも爽やかな後味、といった曖昧な印象しか、残ってない。今回見直す程の作 とも思わなったが、初期からかなりの頻度で入ってくる、下北半島らからの荒浪のウェイト大という以上の作者の思い入れ·念願の作らしく、一応観てみる。中島の各種証言被せと照明不足物越し隠し撮り手持ち超長回し風俗ドキュメンタリー物、場所や人物の(静止~他でも~)説明や心境洩れ詩的序幕入れ、曽根や田中の明香が内面リッチ·グレードアップ~よりやさしく切なく、関本にあっては人間関係は変わらず古風で反動的もそれを上回る回帰優しさと皮膚感覚郷愁が艶やか(史上最も美しい下北からの荒浪光景多種連ねとそれに対する表情複数CUと無意識涙の美しさ)、速いパンやまわりこみ·90º変·車窓や各人並べカットの確実さも、そしてホテル上階や列車後尾よりのしゃがみ放尿の清々しい実践定着力、スッキリ傑作とは言えぬが、史上最も心地いい一本には違いない。月収百万にも届きかねない、不況下更に増える(戸籍謄本1枚で可能な、渡り鳥)トルコ嬢。しかし激務で二十歳で始めると25には内蔵からガタガタ。ヒモはそれに冷徹に巻き上げ付いてく存在だが、ここにクールに成りきれず、後の面倒は見る気も、相手の他金蔓への一時移りにもヤキモキ、預けられたトルコ嬢の必需家庭代わりの犬を目を離し事故死や·ボートレース負け続けの、冴えなくも執着強い男が波紋、女も人一倍情感豊か不安定、のこのカップル。
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『スクール~』。オールブラックスのポーズから始まる 関本の遺作(? 65歳で監督業引退を決めてたらしい)は、すぐにそしてずっと、ドゥニの最高傑作であり、映画史上でも最も偉大な作の1本と一般的にはされてる『美しき仕事』を思い起こさせ、比較させられる。同等か、それ以上の傑作である。男の身体のエロスの映画ストーリー等を除けてしまう、映像としてまたそれを越えた肉体化·またエロスの勝手放出を超えた世界との相互通いあい、その一部が「わが栄光より子供達の将来、褒め心遣いの細かい積み上げ、の教育」論と地味にもなり、精神性へも一応向かう。しかし、大元は修復不可能の風紀乱れすら、理屈を超えてチャーミングに魅せる、風体·動き·絡み·対応·表情の意志、のまろみ·張り·スピードの図と存在とデクパージュによる、生死と破壊達成の境のない、引き込みである。決して機械的へ向かう漫画似でなく、有りうべき構図·連鎖·力の張り合いの、危険な悦びなのである。体技限界越え·フォロー以上移動とスロー巻き込み·構図張り詰めとキレ·(縦や90゜変)切返しと角度変、そのスピードとフォーメーション·個の力の絡まり軋みの繋がりは、同時にストーリー的繋ぎを消す。これ程エロスのたぎった美しい遺作は、ホークス·ドライヤーら数える程しかない。出鱈目な力はフォードによる物のようだ。しかもその拡大をドゥニのように放置せず、ごくごく当たり前·常識的枠内に縮めての括りを見せる。ドゥニよりはるかにウワテなのである。だが、真面目な批評家はこんなアンビバレントな作を映画史上ベストテンにランクしようとはしない。これもドゥニくらいの美意識への従属が必要なのだ。
昭和40年代後半、時間フリーの京都市役所で日本代表へ、その選手から引退·今実業団の監督要請一斉、の名ラガーマンが、あまりの非道生徒に呆れ怒り、校長の罠に嵌まったか、元々教職課程をとる程に興味ある教育にも惹かれ、低俗三流高校の教師に。教師へも抑圧支配·暴力の渦に捲き込み、桁外れ無法の生徒ら(怖さ誰もたが、向かい逃げず·礼を向けるのが、教師と)。妻にも諭され、細かな気遣い‘挨拶’から、そして‘全日本’からの見下し棄て、「自分の満足より子供らの将来を」と、任せられたラグビー部を、押し付けは止め、ラグビーの辛さも楽しさへ、や敗戦の「悔しさ」を教え、才能はある名うての不良らを引き入れ、高速成長、1·2年で一回戦敗退から、京都大会優勝へ。その後も全国制覇や、卒業生徒らも立派社会の柱へ。
マネージャーの白血病死の泣かせどころ、回想する嘗ての部員のラグビーへ嵌まったは、教師の「お疲れ様」の言葉や弁当差し入れの心遣い、という妙なベタさも含めて、真っ当展開でない、曲がり具合も、狭い感動モノを越える。この総体と·内の単純志向の思わぬ力。
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