YasujiOshiba

七人の侍のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

七人の侍(1954年製作の映画)
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リトライのU次。23-8。なぎちゃんのお相伴。ぼくは3回以上見てるのだけど今回も新鮮で、大迫力の娯楽大作を堪能。

それにしても「休憩」の音楽までがカッコよい。だから207分にわたって退屈させないのだ。早坂文雄の劇伴は軽妙で滑稽、土着的で現代的、その拍子と旋律が語りを支え、展開させ、空間を広げ、運動を呼び込んでゆく。いやはや、こんなにすごかったんだ。

リアリズムではない。あくまでもフィクション。もちろん背景には歴史がある。歴史観はシンプル。黒澤は閉塞的な農村文化、すでに敗北した封建制度の侍のエートスを召喚する。

公開は1954年。日本は敗北し、象徴となった天皇にデモクラシーが取って代わっていた。多くの復員兵は、あらたな神に同調し、順応してゆく。しかし、なかには皇軍のエートスを捨てきれず、失われた忠信の対象を求めて彷徨うものもいた。

黒澤の侍たちは、そんな彷徨う者たちの依代なのだ。すなわち、頭を丸めた勘兵衛(志村喬)、かつて勘兵衛の腹心だった七郎次(加東大介)、待ち伏せをにこやかに見抜ぬく策士の五郎兵衛(稲葉義男)、飯代の代わりに楽しげに薪を割るムードメーカーの平八(千秋実)、求道の剣士である久蔵(宮口精二)である。

映画のポイントは、この五人がどうして農民のための戦いを引き受けるかにある。奉公の名誉(封建的なエートス)のためでも、金(資本=市場のエートス)のためでもない。注意すべきは、苦しんでいる農民のためでもないということ。なにしろこの映画に描かれる農民は惨めで卑劣、臆病で狡賢、独善的で排他的な連中。命を捨てるに値する相手とはとても思えない。

にもかかわらず、五人はなぜ戦いを引き受けたのか。黒沢のみごとな作劇と演出によって、ぼくらは納得したような気持ちになる。いざそれを説明しようとすると、はたと困ってしまうのだけれど、なんとか言葉にしてみたいと思う。

七郎次(加東大介)はわかりやすい。かつての腹心の部下は今でも勘兵衛に忠誠を尽くす。策士の五郎兵衛は、勘兵衛の人柄に惚れたようだ。薪割りの平八は五郎兵衛の口説きに乗ったのだろう。剣客の久蔵はどうなのか。おそらく勘兵衛の人柄に応じたのだろう。では、そもそもの勘兵衛は、どうして農民たちのための戦いを引き受けたのか。

勘兵衛の行動は不可思議なところがある。頼まれると断れないところもあるのだろう。それでも、子供を人質にした泥棒を始末するときは、どこか投げやりで解せない。いくら偽装のためといえ、はたして侍が頭を丸めるだろうか。しかもその坊主頭をなんどもなでては、困ったような何かを愛おしむような仕草を繰り返して印象的だ。だから『荒野の七人』でユル・ブリンナーがそのオマージュとして据えられたのだろう。やはり印象的なのだ。

勘兵衛が頭を丸めたことは宗教的だ。自分の意思を超えたものに動かされている証なのだ。彼を動かすのは農民たちの頼みではない。最初はとても無理だと断っているのだ。しかし、農民たちが泊まる木賃宿には、博打をしている人足たちがいた(→僕は最初非人と思ったのだけど『黒澤明全集第四巻』で脚本を確認すると「人足」と記されている p.20)。

彼らは言う。「あーあ、百姓に生まれないでよかったなア…まったく…犬の方がましだア……ちくしょう(「非人のほうがましだ」と聞こえたのだけど「犬」と記されている)の方がましだ」。

そして、なんども食い逃げされた白米を示しながら勘兵衛にせまる。「これはおまえさんがたの食いもんだ。ところがこの抜け作どもは何食ってると思う。ヒエ食ってるんだ。自分たちはヒエ食って、おまえさんたちには白い飯食わしてるんだ。百姓にしちゃ精一杯なんだ。なに言ってやんだい」。

ふつうの侍なら農民はおろか人足の言葉にんど耳は貸さない。実際まだ若い勝四郎(木村功)などは無礼だといきりたつ。しかし、頭を丸めた侍は違う。そこで差し出された白い飯をまるで供物のように受け取ると、「この飯、おろそかには食わんぞ」と答える。つまり農民たちの申し出を聞き入れるというのだ。

なぜ一度は断りながらも、人足たちの言葉を受けて、引き受けることにしたのか。彼らの言葉に動かされたからではない。湯気ののぼる白い飯に、人の意思を超えるなんらかの力が働いていたからだ。そう考えるのが自然ではないだろうか。

思うに、頭を丸めた勘兵衛は、おそらく新たな忠誠の対象を見出したのだろう。それはある意味で失った侍のエートスの回復だ。しかし回復したものは、もはや侍のエートスを超えている。かつては君主への無私の忠誠奉公だったものが、頭を丸めた勘兵衛のもとに高次元で回復しと見るべきだろう。

だからこそ勘兵衛には、剣客たちを引き寄せる力がある。ある種の霊力と呼んでも良いだろう。彼らもまた侍のエートスの高次元での回復に見たのだ。剣客たちは浪人から奉公する侍に戻ろうとしていたのだが、彼らが戻ったのは侍のエートスを持ちながらも侍を超える存在、農民たちの砦を守ることに命をかける「サムライ」なのだ。


そんな五人の「侍」には、どうしても第二次世界大戦で敗北した皇軍の兵士たちを重ねたいと思ってしまう。なにしろ、敗北してもなお兵士としてのエートスを捨てきれず、それを持て余した男たちの姿は、たとえば深作の『仁義なき戦い』(1973)にははっきりとした形で描かれているではないか。男たちが引きずっていたのは敗戦だ。

生き残ったけれど死にきれなかったという思い。求めるものは新たな死場所。命懸けで戦う場所に戻ることが、彷徨う彼らが失われた目的地なのだとすれば、『七人の侍』は、その目的地を娯楽映画という形式の中に、高次元で回帰させようとする試みなのかもしれない。

23/1/19 追記:

脚本が届いたので若干修正。

また岩本憲児の「批評史ノート」が興味深い。読売新聞の批評からは「一見その内容は再軍備にからんだかの感もあるが、この作品はそのようにとるべきではなく、乱世の時代不遇の境地にあっても決して失われることのない信じる者のみにかよう心のつながりを、七人の侍の結合になぞらって哀感をこめて美しく描いた佳作」という表現を取り出し、また東京新聞からは「真面目に戦った侍の哀愁が漂っているが、大戦における戦没犠牲者に寄せた作者の同情であるのか…」のような記述を引用してくれる。

岩本は、ここに「再軍備」とか「戦没犠牲者」とかの言葉が出てくることに注意を促して「当時の時代状況の反映」としているけれど、大袈裟に言うなら、まさにその歴史性こそがこの映画を普遍的なものにするのだ。

また東京新聞には「イタリア的な、土色と野生味」という表現が好意的に用いられている。岩本いわく「ネオレアリズモ映画群の一つ『荒野の抱擁』(G.デ・サンテス監督)や『無法者の掟』(P.ジェルミ監督)などが(東京新聞の)評者の念頭にあったのかもしれない」。

ぼくは『荒野の抱擁(Caccia tragica)』(1947)は未見なのだけれど、ジェルミの『無法者の掟(In nome della legge)』は西部劇をシチリアの地に移植したような印象を持った。その意味では黒澤も西部劇を日本の地に持ってきて映画にしたと言えるのかもしれない。しかし、ジェルミのシチリアがそうであるように、黒澤のサムライにも「土色」がある。つまり地域性と歴史性。そもそも西部劇がそもそもそういうものではなかったのだろうか。

いずれにせよ、『荒野の抱擁』をネットで全編見られることがわかった。ちょっと覗いてみようと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=_NGOmL3uquY
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