紫のみなと

雨のニューオリンズの紫のみなとのレビュー・感想・評価

雨のニューオリンズ(1965年製作の映画)
4.9
どんな時期に観てもどこから見始めてもあっという間に物語に入り込んでしまうオールタイムベストの一本です。

当時ナタリー・ウッド27歳。この女優の絶頂期にあり同時に熟れきって次第に腐敗してゆく寸前にある美しさ。ヒロイン像としてももまさにハマり役。「草原の輝き」よりも「ウエスト・サイド・ストーリー」よりも、個人的に忘れ難い主人公です。

舞台はうだるような暑さがねっとりと纏わりつくアメリカ南部の下宿屋、ナタリーウッド演じるアルバはそこの看板娘。
客の鉄道員の男たちに軽々しくキスさせたり足蹴にしたり、と女王然とした振る舞い。
しかしそれは母と妹の女世帯で生きていくために必要な処世術であり、母親自ら娘にしむけた役割であり、と同時に余りある若さと美しさを持て余していて、未来のない田舎暮らしへの鬱屈、自分達母子を捨てた父親への思慕等がもう、アルバの小さな身体で渦を巻いて爆発寸前なのである。
ナタリー・ウッドは「草原の輝き」でもそうでしたが、古い因習や母親からの重圧に苦しむ役柄がとても合う。

身長は低め、本作ではもう背中にべったり脂肪ものっていたりするけどウエストは超絶にホッソリしていて薄い布キレのスリップを巻きつけてはち切れそうなのに贅肉は全くない奇妙にグラマーで秋の果実の様な瑞々しいスタイルにひたすら目が奪われっぱなし。長身でモデル体型の人はそれこそいくらでもスクリーン上でお目にかかりますが、ナタリー・ウッドの生命そのもの、女そのもの、女優そのものといった果汁が今にも破け飛び散りそうな存在感には圧倒される。
それなのに搾取され、犠牲となり、病んでいくという薄幸の役柄を演じて切ないほど説得力がある。
(一般的にウッドはコメディエンヌのしての評価の方が高いのかも知れませんが)

当時をリアルタイムで知らないのでナタリー・ウッドの背景については多少の知識しかありませんが、あの異様な死に方も含めて、誰かのために、或いは何かのために、ナタリー・ウッドという人生を全力で踊り続けてなお、結局上手くいかなかった哀しさのようなものを感じます。(ちなみにウッドが2回も結婚したロバート・ワーグナーが私はどうしても生理的に受け付けません…)

本作は後半から舞台がニューオリンズに変わります。またこの後半のアルバがいいのです。アルバっていう女の本質がずる剥けになって表出される180度の変貌が全く不自然でない演技。ショッキングピンクのドレスからグリーンのカーディガンへ。恋するオーエンに向かってニューオリンズを駆け抜ける場面の多幸感、、、

アルバは、実のところ古典的な女であり、観るものに本当にオーエンと結ばれて欲しい、幸せを掴んで欲しいと思わせる演技力がウッドにある。ウッドの笑顔に、ウッドの泣き顔に溢れている。

オーエンを演じるのは若きロバート・レッドフォード。これは別にレッドフォードじゃなくてもいい役なんでしょうが、私はレッドフォードファンなのでより一層本作が特別な映画になっています。
オーエンの孤高で潔癖、融通の効かない、ゼロか100しかないみたいな男の人の感じが、その端正な顔にとてもよくハマっている。
ニューオリンズのオーエンのアパートで、仕事終わりを待つアルバ、寝起きのアルバにカフェオレを飲ませてやるオーエン、投げキッス、シーンのひとつひとつがかけがえがない。

他にも好きなシーンや見所はあり過ぎるほどあります。
映画館から出てきたオーエンとアルバが同時に口を開き思わず笑い合うシーン、母親に脅迫され哀願され、鏡台の前で慟哭するアルバ、
それからアルバの年の離れた妹ウイリー(役名が秀逸、その表情から、痩せた身体まで、この女優ちゃんの持ち味は最高です)
アルバの艶のあるセンターパーツのボブヘア、シーンごとのちょっとしたヘアアレンジも可愛い(ウッドはセンター分けボブが1番、と私は思う)
何度見てもウッドの演技のキレの良さ、発声の良さに聴覚まで魅力されるシーンといえば、ニューオリンズ行きの列車に乗ることになる前の晩、母親と、母親の愛人(濃すぎるチャールズ・ブロンソン)、それからアルバに夢中になっているお金持ちの高齢者ジョンソンさんの4人で、ついにアルバが母親に歯向かっていく酒場でのシーン。
酒をあおってグラスを割り、髪を振り乱しながらも、オーエンへの恋慕を溢れさすアルバ、狡猾に女の武器を行使するアルバ、様々な激情が秒ごとに交錯し画面いっぱい実際にバーンと弾け飛んでくるような迫力と、行き詰まりのどうしようも無さ。

私はつくづくシドニー・ポラック監督作が好みで、また60〜70年代の映画が好きなんだなと、もう遺伝子レベルで感じます。

あんなことがなければまだ十分存命なはずのナタリー・ウッド。非常に凡庸な表現ですが、それでもウッドはスクリーンを通して生き続けている。

剥き出しの肩をスカーフでするすると覆いながら静々と列車のタラップを上がる後ろ姿、オーエンを求めてニューオリンズを彷徨い歩く白いコートの後ろ姿…。