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早春のotomisanのレビュー・感想・評価

早春(1956年製作の映画)
4.2
 男と女。俺は男だからそう呼ぶのだが、女なら、女と男と言うだろうが、どっちでもねえよ、という人は何と言うだろう?単に二人とでも云うだろうか?
 ともあれ、その二人があってやっと子どももできるわけだ。第一子を疫痢にとられて5年、三十路もあたまとなった二人の子無しの日々にガタが来て、すれ違うこころの隙間に「きんぎょ」がふらふらっと入り込む。

 けものの場合、ああした連れ合いの未だ無い若いメスは二人に第二子ができた場合、子育てヘルパーとして関係を保つ事があるそうだが、ヒトの場合、「ヒューマニズム」の観点から道徳性かなんかの欠如を「査問」される。
 「きんぎょ」も実はけもののメスのようにおおらかに二人と一緒のヘンテコな関係を夢見たのかもしれない。カモメか何かだろう大嵐で多数が連れ合いのオスに死なれた後、メス同士のカップルが無精卵を生んで疑似的家族な有様を呈するとも聞く。おもしろくもどこか悲し気じゃないか。

 ひびの入った二人の傍らでは夫の同僚が肺病?で死んでゆく。大戦間際、秋田の中学生は丸ビルの窓を照らす照明の一斉点灯に心を躍らせ、高等学校から戦場、大学を経て東亜耐火煉瓦に職を得る。こののち日本の高炉製鉄は二十数年で生産量、品質で世界一となる。
 鉄は国家なり。それを支える誇るべき職場をあの丸ビルに得て十年、未だ妻子なく、それを心残りとしながら社会人として朽ちてしまう予感を病勢から得たのだろう。
 しかし、子を失い妻とも距離を持った池辺は、それらのいずれも知らずに死んでゆく同僚をなんと捉えただろう。手にすることの叶わない未来の夢を見納め、喜びに満ちた過去を振り返り、その回想を人生最後の慰めとして池辺に聞かせて可能な限りの満足を求めたのだろう。
 あやふやな心持の池辺の背中を岡山の山奥に向かうべく押したのは、あんな同僚の心残りを分かればこその池辺自身だったかもしれない。

 そんな池辺の岡山、三石行きは会社の権力闘争の果ての事でもある。この左遷人事は既に元上司、笠の大津行きで明らかにされ、山村の追放と渋谷の喫茶店店主への独立を促し、既に池辺の将来の暗転を予感させていたはずである。
 子のこと、妻の事、勤め人人生の事、三重苦のように真綿で首が閉まるのを感じながら「きんぎょ」にこころの隙をいっとき明け渡し、この隙間を閉じるのか開き切るのか割り切りどころを心中に求め得ない男が他力のように企業社会の力学に応じていき、その中に生き改めの機会を探しに行く。

 このように、一見夫婦の力が一番弱く、それに勝る企業社会の力学が人生を翻弄してくれて、かの同僚には寿命の短さへの気づきを多分遅らさしめ、池辺には己が振り返りの機会を恵んでくれる。
 もちろん、そんなことはほんの偶然に過ぎないし、当人の受け止めよう次第に過ぎない。しかし、この人生真綿で三重苦を怒るでもなく悲しいでもなくな、薄ぼんやりした暗がりを黙々として渡っていけるだろうか?
 これがなまじ学を積んだインテリの厄介なところさぁね!と、斬りはらうように、この池辺にはもう二つも別世界がぶら下がっている事に今のサラリーマンは驚くべきだろう。

 現代の現役世代は当然だろうが、当時生後マイナス5年の俺だもの1955年早春のあの元戦友たちの盛り上がりは分からない筈なんだが、兵隊になるには一銭五厘の赤紙一枚では足りないという。兵営で同じ釜の飯を食って寝起きし古兵殿にぶん殴られて娑婆っ気をすっかり落として、出自も経歴も関係なし、気が合うも合わないも埒外、お前が死ねば次は俺、な戦場で嫌いなやつでも敵陣を狙うなら援護しなければみんなが総倒れになるかも知れないわけだ。
 それでも引き金一つ引く肝っ玉もない奴がいたりして、ところがそいつが犬を取っ捕まえるのが上手くて、云わば部隊の女房役てな格好で、その犬がまた旨くってあれより旨いものを食った試しがねぇ、その野郎が唯一の戦死者のように語ると誰もがやがて黙りこくってしまう。
 あいつの娑婆での連れ合いはあの意気地なしを忠勇無双と信じてやがったのに、それが今じゃ再婚していい調子だぜ、こいつぁ浮かべれめぇ、なのである。

 どんなことでも昔のままじゃいられない。あの戦友たちが今じゃラジオにテレビもちょっとねという修理人に金太郎印の鍋作り社長なんて手に職有りな一本独鈷と学士様の勤め人だ。勤め人で上々だぜと言われるが真綿で三重苦な池辺はちっとも嬉しくない。企業社会のネジ一個な俺と一人立ちのお前らと何が違ったんだろうか。
 あの戦場を生き延びて共に感じた嬉しさもまた昔の事、大学を出て希望通りに結婚した喜びも昔の事、亡くした子のかわいい盛りを迎えたあの楽しさも昔の事となり、今また原初の戦争体験まで遡って人生の頂点の数々を思い返すのだろう。その中に誰の顔が幾たび現れては消え、今映っているのは誰だろう?

 壊れつつあることは分かりながら打つ手の一つも思い浮かばない。禁じ手の先に蒲田始発大宮行きの通勤仲間「きんぎょ」がいて、同じ仲間内で「ふたり」のウワサが広がって、池辺の知らぬ間に半分傍焼きな連中が事情はさておき余計なお世話の火消しに走り出す。
 不品行な「きんぎょ」に咬みつく傍焼き「らいぎょ」もいたりして、ありゃあ何なんだろう?と眺めてる間にいつしか岡山行きの池辺歓送会になって「きんぎょ」まで爽やかに握手を交わしてしまう。呆れたもんだが、そんな「きんぎょ」の胸中ももやもやのままに使い捨てるのは元々監督の興に沿わないところだったんだろうか?
 あの輪の中の面々の、かの戦友同士のような齢の差だの境遇の違いだのさまざまな筈なのに、うどんの会とかピクニックだとか、しょうゆや砂糖を貸し借りするような気安さの特定社会内の隣人関係が、あれは「きんぎょ」同様、小津的創作なのか、知らぬ同士が小皿叩いて相見互いな蒲田始発、と打ち解ける人間関係な奴とかなのか?
 なにはともあれ、この2種類の集まり、社会人池辺の第一ステージである兵営・戦場生活に端を発する戦友社会、生還後の第二ステージ、電車仲間との相見互い社会がどこか、男の過去、戦時から戦後へと55年まで、に足を取られるんだか縋るんだか知れんような勤め人なればこそナもどかしさの表れの姿にも見えるようで生暖かいが鬱陶しい。同時にそんな脇に配された細君も「きんぎょ」も、「きんぎょ」だっていつまでも若くはないのだし、共に明日が見えないどん詰まりに縮みこむように思えてしまうのだ。

 池辺も知らぬ間の電車仲間のお節介に翻弄されて煮ても焼いても食えない「きんぎょ」がナマのまままた池に戻ってゆく。池辺も岡山に発ち、みんな、おおかたカミさんも後を追っかけるだろうよ、とか思うんだろう。
 苦しい戦後期も変化して、進駐軍経済の東京に縋って暮らす復興から、自立した経済、だんだん本当の稼ぎの現場、製造とセールス、リサーチの現場へとみんな散っていくようになる。いっとき深まった知らぬ同士が相見互いの間柄も少しずつ夫々の事に紛れて消えてゆくんだろう。
 生きているなら明日が勝手に来てくれる。長いものに巻かれても給与計算は積みあがる。汽車に乗らない通勤だからカミさんの顔も長く拝めて、うんざりだったら話は別だがこのふたりはどうなんだろう?
 三石で遅れて何日目か、ろくな会話もないまま久しぶりの再会で互いに謝る言葉の端に、もう共に何も無くなってしまったなぁ、との少なくとも嘘の介在はなさそうな具合だ。
 蒲田から電車で一本なら、岡山からも汽車で一本な東京へいつか戻れる事もあるだろうか、そのときには二人には鎹がひとつだかふたつだか繋っているだろうか、六郷橋を渡りながら月桂冠のネオン塔のしたでそのときも「きんぎょ」は泳いでいるかなんて思うだろうか?煮ても焼いても「逆光線」なきんぎょに進化したりして、東京の人間模様は戦後を終えてどんな様相になるだろう?

 それとも、あの池辺もやがて「となりの車が小さく見えます」なんて、過当競争から独占禁止に触れそうな気持に変わって核家族で渋滞する高速道路で里帰りするのだろうか、電車仲間も戦友会も疎遠となって増大する所得額と消費額で隣人を睨む事にこころを奪われてゆくのだろうか。
 それは、からだ一つを寄せ合った「相見互い」な関係が、うごめく余地を得る中で「やっかみ」を育てやがて「競い出す」ように変わってゆく時代の雰囲気の変化を投影した事かもしれない。
 未来はまだ何も分からない1955年の来し方10年に渡る池辺の栄えてはほころびた心模様の帰着に少し安堵しながら、さいごはやはり男と女かなあ、と思わされた。
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