ケーティー

ギターを持った渡り鳥のケーティーのレビュー・感想・評価

ギターを持った渡り鳥(1959年製作の映画)
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冒頭のアメリカの荒野のようなシーンから、こんなの日本であり得ないだろの連続。ひたすら、ハリウッドのような海外映画のような世界を日本でやりきる潔さ。小林旭さんや浅丘ルリ子さんのデファルメした演技・設定もよく、今の日本映画にはない娯楽作としての魅力がある。

よくテレビの登場で、日活や大映が衰退したというが、この映画を観ると納得できる。とことん海外の大作映画を意識しながらも、とにかく早い展開、そのテンポのよさ、わかりやすさ、楽しさにはテレビドラマの作りに通じるものがある。説明を極力除き、画面を見てるだけで楽しい場面(アクション、ロマンス、喧嘩など)でどんどんつないでいくのである。このある種のハチャメチャさ、娯楽に徹した作品づくりに今の映画やドラマにない魅力がある。

実際、今日のテレビドラマは映画を意識してしっとりしっかり説明してつくるのが力作であるという風潮が空回りしている感がある。それに対し、映画がティーンなどを意識してテレビドラマ的なテンポのよい演出に向かっている事実。あるいは、「君の名は。」のように都合のよい展開や矛盾だらけの脚本ながらもとにかく次から次へと面白い展開、面白い絵を出して、人々を考えさせる前に魅了させるつくりでウケている事実は、世間が映画やドラマにかつての日活や大映的な持ち味を求めてる証拠なのかもしれない。

しかしながら、昨今の、例えば「君の名は。」に比べると、これだけ時間も短く娯楽作品なのにも関わらず、本作の方が遥かに、(突拍子な設定ではあるが)人物がよくできているし、少ないセリフで描けている。例えば、浅丘ルリ子さん演じる由紀の出番は意外にも少ないのだが、それでも主人公二人が恋に落ちる過程はよくわかる。このあたりの人物像の作品での出し方、描き方は今日のエンターテインメント作品より遥かに上手い。そして、そこにはどこか作り手が今の多くの映画人に比べて、もっと人生観や生活、風俗を見る目、いや見てきた目をもっている気が私にはするのである。