NAO141

桐島、部活やめるってよのNAO141のレビュー・感想・評価

桐島、部活やめるってよ(2012年製作の映画)
4.0
『桐島、部活やめるってよ』
ごくごく普通の高校生たちの、ごくごく当たり前の心情を繊細に描いた傑作。
高校生たちの日常が妙にリアルで良い!

いつもと同じ日常。しかし〈桐島〉という生徒の退部をきっかけに、それぞれの〈金曜日〉が動き出す。現象として目の前で何か大きな事件が発生したわけではないものの、〈桐島〉と関わりのあった者たちの心には大きな変動が巻き起こる。この描き方がとても上手い。作品タイトルにもなっている〈桐島〉本人は登場せず、しかも「えっ!ここで終わり!?」的な終幕となるが、それもリアルな日常の描き方としてとても良いと感じる。〈桐島〉が部活をやめること、なんで彼が部活をやめるのか、それが主軸ではなく、彼が自分達の日常から離れたことによって直視せざるをえない現実や自身の立ち位置に対しての動揺などの描き方がリアル過ぎるのだ。その人がいてこそ自分も輝けたが、その人がいない今、自分には何が残る?そもそも自分って何?ということを突きつけられた高校生たちの焦燥感のようなものがヒシヒシと伝わってくる。

本作、いわゆる学園カーストを描いた作品でもある。〈前田〉達が「下」で〈菊池〉達が「上」、確かに一見そのように見える。しかし本作、様々な人物やグループの視点で学校生活というものが描かれているが、視点を変えてみると実は〈前田〉達が「上」で〈菊池〉達が「下」と見えないこともない。〈菊池〉達「上」と位置付けられる者たちの苦悩や空虚さにもスポットが当てられていることもこの作品の魅力。成績優秀、スポーツ万能、彼女持ち、「下」から見たら理想的に見えながらも、本当に自分がやりたいことは何なのかということに悩み、〈桐島〉不在によって突きつけられる現実や残酷さ。何が「上」で「下」かは人それぞれだろうが、やりたいこと(好きなこと)をやり続ける〈前田〉達が菊池には羨ましくも見え、〈前田〉達も三拍子揃った〈菊池〉達を時に羨ましく思う。人はどこまでも無い物ねだりだ。

ありふれた日常。しかしこの日常がある日一瞬にして変わってしまう、そういった事を我々は誰もが経験している(してきた)と思う。毎日一緒だった〈あの子〉。ある日部活をやめた、ある日受験のため塾通いになった(先に進学決まった)、ある日彼氏(彼女)が出来た、こうした事がきっかけでありふれた日常が崩れ始めること、誰にでもあったのではないか。変わらない日常と思っていたが、実は周りは変わっていて、変わっていなかったのは自分だけだった。一緒にいた人がある日何かのきっかけでいなくなったり、一緒にいる時間が減った時、その時初めて突きつけられる現実や自分を直視せざるをえない残酷さ。これが本作では非常にリアルに描かれている気がした。学生当時、誰にでも〈桐島〉のような存在がいて、誰もが誰かの〈桐島〉のような存在だったのかもしれない、そんな風にも感じた。ラストの菊池宏樹の野球場(校庭)を眺めながら〈桐島〉に電話しようとしていたシーンは良かった。彼はあの電話で〈桐島〉に何を話したかったのだろうか。余韻を残すような終わり方が個人的に好き。主題歌の『陽はまた昇る』も本作にピッタリの歌詞だね!
※神木隆之介がやはりいいね~。前田役がハマってるし、彼の「ロメロだよ!それくらい観とけ!」という台詞が良かったね~。そうだよな前田、ロメロくらい観ておいてほしいよな~笑。

学生達のリアル。いま学生の人達には悩み踠きながらも、自分が本当にやりたいことを探し続けてほしいなぁと思った。
学生時代の自分、クラスでは一番後ろの窓際の席。授業中よく校庭を眺めていたなぁ笑。いま自分と同じ席に座っている子はどんな子だろうか。どんなことを感じ、どんな学生生活を送っているのだろうか。〈いまを大切に学生生活を楽しめ!頑張れ!〉この言葉をエールとします笑。
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