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桐島、部活やめるってよのchi6cuのレビュー・感想・評価

桐島、部活やめるってよ(2012年製作の映画)
5.0
今回で3回目の鑑賞なのに毎回新しい発見がある。
これ以上の青春映画は、今後日本では生まれないのではないか、とさえ感じてしまうほどに完璧な作品。
絶賛以外の評価が見当たらない。
本当に、当時のキャッチコピー「全米よ、これが日本映画だ」は正しいと思う(笑)

主人公は「桐島」ではない。
桐島以外の登場人物全員が主人公。

高校という非常に特異な空間に縛り付けれれながら、社会の文化とはずれた価値観の中であらゆるものに抑圧されてでもごくごく普通に生きている少年少女たち。
「スクールカースト」とも呼ばれる目に見えない上下関係の頂点にいた「桐島」が姿を消して壊れゆく世界を静かに瑞々しく描く。
勉強、進路、部活、友達、恋人、片思い、憧れ、挫折。
小さな世界では人生のすべてが詰まっている。
ただ学校に通うというだけなのに、そこでの人間関係はあまりにも複雑に、表面と内面の誤差は日に日に大きくなり、それぞれがそれぞれをどうしようもなく苦しめている。
気の合わない友達を軽蔑しながらつるんでみたり、
部活に打ち込む勇気のない自分を、部活に必死なクラスメイトを馬鹿にすることで癒したり、
一番には絶対になれない自分を、同じ立場の男子に投影して慰めたり、
羨まれる容姿、羨まれる彼氏を持つことでステータスに溺れ周りを卑下して安心したり。
この平和で残酷な無限のループから、「一抜け」した桐島。
全生徒の憧れで、すべてを持っていたはずの桐島が部活を辞めて姿を消す。誰も連絡が取れない。
何か気に障ることがあったのか?理由は?本心は?みんなが疑心暗鬼し必死で桐島の足取りを追う。

劇中、「桐島」は最後までほぼ姿を見せない。
私たちは桐島を探せない。
右往左往する彼らと、桐島を中心に、放射状に関係していったカーストの崩壊を、崩壊ののちの心の内面の解放を、きっと誰かの立場に立ってリアルな気持ちで体感する。
同じ学年のアイドルも、見向きもされないオタクも、しっかり関係していたという時間軸の描き方が素晴らしい。

ほぼ全員が高校内の関係に縛られる中、映画部の前田のみが、観ている世界は学校の外。先の世界だ。
彼の中には映画創作の意欲が最優先し、その中に芽生えた恋も、自身の才能の限界も、すべてをひっくるめて今という時間を有意義に生きようとしている。
自分を馬鹿にする人達を恨むでもなく愛すでもなく。
彼がカメラ越しに観るゾンビまみれの荒れ果てた校舎は、まさに現実の残酷な「今」で、図らずも彼はその事を悟っている。
でもこの世界はいつか終わりを告げ、スクールカーストは自然に崩壊し、みんな平凡な大人になる。
押しつぶされそうな毎日に涙を流すクラスメイトに前田は優しくカメラを向ける。
「かっこいいね」
青春はかっこいい。残酷で、無常で、愚かで、ぶさいくで、かっこいい。

おそらく鑑賞するすべての大人たちが、高校時代、自分はどの立ち位置だったのだろう、と考えながら鑑賞する。
鑑賞後、お気に入りのキャラクターがそれぞれに全員違う。
「ああいう女、いたよね」と話すときの私たちは、きっと「あの時」の少年少女に戻っている。
だけど、あの時に抱えていた鬱屈した感情は、きっと吐き出せずに大切に残したままなのだ。
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