Ricola

あなたの目になりたいのRicolaのネタバレレビュー・内容・結末

あなたの目になりたい(1943年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

「伏線」をいかに説明し過ぎずに示すか。つまりは映像でどこまで婉曲表現しきれるかということで、「豊かな」表現だと言えるのではないか。
その点でこの作品は「豊かな」表現に満ちた作品と言えよう。
一つのテーマを中心に据え、それにうまく絡めた「伏線」をさまざまな方法で見せてくれる。
ストーリーがどこへ向かっていくのか、美しくかつ的確に示されている。


二人の出会いとフランソワ(サッシャ・ギトリ)のナンパから、作品の主題が見え隠れしている。
フランソワのおかげで入れたギャラリーの、ある胸像に見惚れるカトリーヌ(ジュヌヴィエーヴ・ギトリ)。
フランソワは彼女に後ろから近づいて話しかける。まるで電話をするように、電話番号を言って彼女と繋げてもらい彼女を誘う。その間本当の通話中のように二人は向き合うことはない。フランソワは去り際に「電話を切るよ」と言うのだ。

この「電話」的な、ある種の伝言ゲームのようなやり取りは他でも見られる。
その場に話題にしている人物がいるのに、本人に直接伝えないというやり方である。
例えば、フランソワはカトリーヌにプロポーズする予定であることを彼の親友ジャンに話すと、その場にいるカトリーヌは驚くもすぐに喜ぶ。
彼女に向かって話していないのだが、その場にいるから筒抜けなのである。
つまりこの「伝言」は、暗黙の了解として機能しているのだろう。

数えることは、フランソワとカトリーヌの絆を深めるまたは確認する作業のようなものである。
カトリーヌがフランソワの家を初めて訪ねたとき、約束の時間になるまでそれぞれカウントしている。交互に二人が数字を口に出している様子が映し出される。
またキャバレーを出るためテーブルを立つときには、フランソワが1,2,3と数えてジャンを含めた3人で同時に立ち上がる。

夜歩くなかで、足元を円い光が照らしているショット。フランソワとカトリーヌは会話をしているが、まるで二人三脚をしているように揃う足取りだけが映される。彼女を家まで送ると、最後に彼女の顔にぼんやりと照らす。

さらにフランソワが制作しているカトリーヌの胸像は、彼女の分身のような存在であり、フランソワの彼女への愛を体現したものである。
だからこそ、彼女が傷ついたときに代わりに胸像が傷を負い、フランソワはその胸像を本人のように愛おしむ。

これらの演出および設定は、タイトルからも想像できる通り、フランソワの失われゆく視力と関係している。
例えば電話的なやり取りや数えることならば、視線を合わせなくてもお互いの存在を確認し合うことができる。
マスクフレームの演出も、フランソワの目の病気のように狭い視界を表すものとなっている。そして胸像なら、触れることでカトリーヌの顔かたちがわかるし、視力が低下していってもなんとか制作できるものなのだ。

このように、ストーリーが進むごとに謎に思われたフランソワの行動と、それ以前以後の演出が視線を伴わない問題として結びつけることができる。
作品のテーマはまさに視界や目である。自分の病ゆえに身を引こうとするフランソワの行動と、彼をおかしていく病の関係が明確かつ間接的に表現されている。
Ricola

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