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カンフー・パンダのLCのネタバレレビュー・内容・結末

カンフー・パンダ(2007年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

面白かった。

本作に関しては、冷静な感想が書けない。
幼い日の私を支えたものであり、どうしても自分と切り離して見ることが難しい。

私は異国の地に居た。
学舎では、言葉のわからない者として、周囲からの評価や理解がなかなか得られなかった。
言葉での意思疎通が身に付いていなかっただけで、現地の言葉は理解できていたし、なんなら当時は日本語をあまり解さなかった。中国語なんて珍紛漢紛だ。
でも、言葉を発しない者は、好きなように解釈されやすい。ニーハオくらい言えないのか、と言われたりする。表情や仕草のみで相手の気持ちを推しはかる者はほぼ存在しない。発話するのが大前提で、あとのものは周辺機器でしかない。
当時の私は、そういうことを理解できなかった。故に、自分を取り巻く全てが怖かった。日常も、人も、世界そのものが丸ごと怖かった。

本作で、主人公は違う世界に身を置くことになる。
そして、歓迎される。何でここに居るの?ここがどこかわかってる?
主人公は、打ちのめされても叩かれても冷たい態度を取られても、好きなものを楽しむ姿勢を貫いた。痛いだろ?すごく痛い!やっぱりカンフーの達人はすごいね!かっこいい!
まずこの姿勢に、当時の私がどれだけ勇気をもらったか。

長所を見出されて修行を重ねていく場面では、少し寂しくなったりもした。やっぱり主人公にも、他の誰かとは違う強みがあったんだ。だから、修行の中で彼が強くなっていくのは当然なのかもしれない。
しかし、巻物には、それを手にした者の顔が映るのみ。ここで、本当に大きな衝撃を受けたものだ。
そうか、彼が彼であることが、1番大切だったんだ。長所が誰かに見出されるとか、強みがあるとか、大切なのはそこじゃなかったんだ。カンフーが好きな彼が、カンフーから逃げなかった結果、今があるんだ。
そして、最終奥義は今そこにいるあなたである、というメッセージを、言葉で残さないことに驚いた。
言葉が全てじゃないんだ。色々な表現方法があるんだ。自分にとってハードルの低い方法が、あるかもしれないんだ。色んなメッセージの残し方に、その理解の仕方に、意識を向けていけたらいいな。

ただ、当時は理解が難しかったことも、もちろんある。
支配に対する幻想が、具体的に何を指すのか、とか。これは目の当たりにした景色の多さで解像度がぐんと変わる言葉なのかもしれない。
その他、愛故に分別がきかなくなった、とか。
私は当時本当に幼かったけれども、愛する我が子と描いていた未来を絶たれた時、結果が変わらないとしても「考え直してほしい」と彼の目の前で、どうして言ってあげられなかったんだろうと不思議だった。
胸を張って言い返せないんだ、ということが、どういうことなのか。
師匠さんは、結構ズケズケと亀さんに物申せる。そんな師匠さんが、言い返せなかったんだよ。当時の私には、難しかったね。

鼓舞されながら、わからないなあと首を傾げながら、それでも毎日のように見ていた。
終始笑えることが何よりも大きかったかもしれない。この作品を見れば、今日も笑顔の時間を作れる。
笑って、心を奮い立たせて、深呼吸をして、玄関へ向かう。
そんな日々だった。

亀さんの言葉を忘れたことはない。
過去はヒストリー、そして未来はミステリーなんだ。だから、現在はプレゼントと呼ばれるんだ。
当時は、幼いなりに大切なことを教えてくれてると感じた。
今、亀さんがこの台詞を言う場面で、確信を持って頷けることが、とても嬉しい。あなたの言葉が真実であると、明るい気持ちで肯定できるヒストリーを歩いてきました。その結果、私はかつてない大きなプレゼントを手にしています。ミステリーを怖がることは、なくなりました。
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