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ローマの休日のQTakaのレビュー・感想・評価

ローマの休日(1953年製作の映画)
4.7
冒頭キャスト紹介
”Story by ダルトン・トランボ”
これを確認したかった。
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今回、w.ワイラーのこの映画を見たくなったのは、漫画『赤狩り』の中にこの映画の製作過程が描かれていたからだ。
それは、共産党に関わった脚本家と彼らを擁護した映画界の実力者の話であった。
そこには、ワイラーの苦難の日々が描かれている。
国家による言論・表現の自由への統制へ反旗を翻した後、多くの映画人が困難な道を歩まざるを得なかった。
そんな中で、ワイラーの映画もその性質を変えていった。
仲間を信じ、映画人としての誇りを支えとした、国家権力への反旗だったが、敢えなく敗れ去ることになり、多くの仲間を失うことにもなった。
その後の作品には、不信、挫折、絶望が描かれていた。
そんな頃に、トランボの脚本に出会ったということだ。
そこに有ったのは、叶わぬ愛と、その愛から生まれる”信頼”に他ならなかった。
ダルトン・トランボは、赤狩りによって映画界を追放された10人(ハリウッド・テン)のうちの一人で、かれら10人を救わんとして立ち上がったのが、ウィリアム・ワイラーをはじめとする映画界のスター達(第一条委員会)だった。
騒動の犠牲となり映画界を追われたトランボが友人(イアン・マクレラン・ハンター)の名を借りて書いた脚本が、再びワイラーの手に渡り、名作を生むなんて、それ自体が素晴らしいストーリーじゃないか。
そして、ワイラーは、この脚本によって、”信頼”という大切なものを取り戻す。
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舞踏会のシーン
映画冒頭のシーン。
王女のヘップバーンは、まさに女の子だった。
この舞踏会のシーン、いくつかのエピソードがある。
ロングドレスの中で、片足で立ちながら、もう一方の靴を脱ぐ場面。
彼女の類稀なる体幹の良さが表れている。
普通の女の子ではちょっと無理だろう。
子供の頃からバレーで鍛えてきたからだろう。
この女の子のローマでの1日の物語が始まる。
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朝、寝起きのアン女王
不信感いっぱいで、ジョーと対面する。
いくつかの会話の後、ニコッと笑って、「はじめまして」と一言。
この笑顔の瞬間が、たまらなく可愛い。
あるいは、女優の本領は、こういう瞬間にあるのかもしれない。
1953年、公開当時、無名の女優をスクリーンで見た人々は、この笑顔にやられたに違いない。
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デジタル・ニューマスター版のDVDで見ると、この映画は、やはりローマの観光地を巡る楽しさいっぱいの映画に見えてくる。
ハリウッドが、赤狩りの旋風の中で鬱積している頃に、こんな楽しい映像がスクリーンいっぱいに映し出された時、観客はさぞ喜んだ事だろう。
そして、その中心に現れた妖精を、ニューヒロインとして認めたのは必然と言えるだろう。
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二人のローマ観光のクライマックスは、真実の口のシーン。
このシーンでは、本当にオードリーは驚いていたという話があったが、事実かどうか…
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ジョーと別れてからのアン女王の姿は、愛おしくも、切くもある。
そして、その表情、その姿は、プリンセスの姿であった。
少女が、1日にしてプリンセスに成長したのだ。
この物語は、たった1日の出来事である。
その1日を、こんなにもダイナミックに描き出したこの映画は、やはり最高の一本であることは間違いない。
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ラストシーン
最後の会見の席を終えて、アン女王は奥へ下がって行く。
記者たちも会場を後にする。
そして、ジョーは、後ろ髪を惹かれるように、最後にその席を後にするのだが。
もう一度、振り返って、アン女王が立ち去った方を見る。
そう、見てしまうんだな、男は。
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デジタル・ニューマスター版がリリースされたのは2003年の50周年記念の時。
この時に、”Story by Dalton Trumbo”のクレジットが記された。
この公開時に、私もIMAXシアターで見たと記憶している。
その美しさに驚いた。
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今回、この映画を改めて見て、W.ワイラーや、D.トランボの姿を思いながら様々なことを感じた。
それは、この映画の物語をヒロインを演じたA.ヘップバーンの姿に見た今までとは違い、映画製作者の苦悩と努力をそこに見た気がした。
やはり、この映画は、不朽の名作だと思った。
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