がちゃん

地獄の謝肉祭のがちゃんのレビュー・感想・評価

地獄の謝肉祭(1980年製作の映画)
2.3
60~70年代にヒットしたマカロニウエスタンを例にするまでもなく、アメリカ映画の設定を換骨奪胎しておいしいところをいただこうとするのはイタリア映画の一種の伝統芸なのだが、本作はその面目躍如たる作品である(皮肉であるが^^)。
本作は、フランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』からベトナム戦争の苦悩という設定をいただいて、カニバリズムホラーにしてしまった、いかにもイタリア作品らしいのだ。

ベトナム戦線。
穴倉に閉じ込められて捕虜になっているアメリカ軍兵士二人。
(この捕虜のシーンは或いは“ディア・ハンター”がヒントかもしれぬ)

二人は死んだ女性の肉を食すことで飢えをしのいでいた。

この兵士は、二人を助けに来た上官、ノーマンの腕にも嚙みついてしまう。

時が流れ、アメリカの地方都市。
捕虜となっていた二人は、病院に入院して治療を受けていたが、一人はある日外出許可をもらう。

男はカニバリズムの癖が完治していなかったらしく、まずは映画館で女性観客にガブリ。
これをきっかけに、いろんなところで人を襲い噛みつきまくるものだから、警察まで動員して大騒ぎ。


この男に噛みつかれたら、噛みつかれた側もカニバリズム癖が伝染するらしく、かつて自らも噛みつかれたことのある上官ノーマンは、自分も感染したのではないかと思い悩む。

そして・・・

まず、タイトルからして、コッポラの『地獄の黙示録』が“Apocalypse Now”(現代の黙示録)だったのに対し、こちらは“Apocalypse domani”(明日の黙示録)と、ここからもうふざけている。

ワルキューレの騎行をガンガン鳴らしながらヘリコプターで村を爆撃したシーンの再現を目指しているのか、どこかから流用してきたであろうしょぼいヘリコプターの戦闘場面で始まるオープニングから力が抜ける。

これから先の展開に嫌な予感がよぎるのだが、そういう悪い予感というのは自ずと的中してしまうものだ。

少しのエロを挟みながら物語が進んでいくのもイタリア映画だ。
思わせぶりな少年、少女が登場する。
まあ、エンディングへの伏線が張られているわけだが、この姉弟、そして上官の妻の描き方を含め、どうもうまくない。

カニバリズム癖によって結ばれたグループは、警察などからの追っ手を逃れ、下水道へ逃げ込む。
(ここは第三の男からのいただきかな)

警察は下水道の図面を持っており、それをもとにして追っかけるのだが、(画面で見る限り)あれだけの人員を割いて追うのならば、反対側にも人を配置すれば一網打尽ではないのか。

そして、カニバリズム軍団はウルトラC的な手段で追手から逃れてしまうという・・・いやいや。

劇中では、噛まれたらすぐにカニバリズム癖が伝染しているように見えるのに、冒頭で噛まれた上官は相当な長い期間潜伏期間があったのだな。

終始グタグタに進む本作だが、唯一の見どころは、腹部ぶち抜きショットシーン。
これは、ロバート・ゼメキスの『永遠に美しく』(1992)よりも先だったのですね。

『燃えよドラゴン』でブルース・リーの相棒だった、ジョン・サクソンが、噛まれて苦悩する上官役。
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