荻昌弘の映画評論

スケルトンの映画騒動の荻昌弘の映画評論のネタバレレビュー・内容・結末

スケルトンの映画騒動(1946年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 今のファンにはお馴染みもなかろうが(というのはお偉い方の常套語だよ)、この写真遥か昔は一九二四年のJ・クルウズ作品「活動のマートン」の再映画化。小生若輩にして二つを比較出来ないのは遺憾のキワミだが、ともかく今度のだけでもハッキリ判るのは、何よりストウリイ(プロット)のいいこと。
 時はそれ黄金の沈黙時代、田舎の活動狂が憧れのハリウッドへ吸い寄せられ、大役にありついたはよかったが、自分では深刻悲劇のつもりの大演技が、完成した写真では抱腹絶倒のスラプスティクにすりかえられてしまっていたというあたり、チクリとさえ来るホンモノの笑いと涙がただよって、さすがにどうして近頃でのファルスとは骨グミのかたさが先ず違う。
 もっともこの作品、脚色・監督・助演群すべてのお寒さはいかにも二流じみて、スケルトン氏ひとりの活躍にゲタを預けちまっているから、折角のお話もひどく薄手の展開振りだし、そのスケルトン氏も、例の如く傍若無人にパアスナリテイを流露させるには原作のかたさが却って邪魔、という風な所もあって、全体としてはコクのない出来上りに止まった。残念でアル。
 サイレント映画の説明から始まる開巻の滑べり出しなどテンデいい気持になれるにつけても、昔のヤツが見たいもんですなァ。
『映画評論 7(6)』